2009年12月 6日 (日)

瀧井敬子 先生のこと

このところ、瀧井敬子 先生の追っかけをやっている。

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瀧井敬子先生とは、今年の「藝大アーツin東京丸の内」でお世話になった、東京藝術大学の教授である。丸の内合唱団が参加したこのイベントについては、感激を持ってこのブログに書いたが、イベントの総合プロデューサーを務められたのが瀧井先生である。また、我らがマルガツに藝大との共演という白羽の矢を当てていただいた張本人である。

瀧井さんについては、このブログでも何回か登場いただいたが、藝大というともすると閉鎖的になりがちな象牙の塔にあって、既成概念にとらわれない素晴らしいイベントを次々と成功させているとてもユニークな先生である。その活動はエネルギッシュで、人の何倍も働いてこそはじめて事がなる・・・・といった誠心誠意を信条としておられる、まことに頭が下がる方なのだ。私などは、先生のパワーと実行力にすっかり圧倒され、瀧井門下生?として教えを請うている。

冒頭に「追っかけ」と書いたのは、先週の日曜日と今週の日曜日立て続けに瀧井さんの講演に出かけたからである。この歳で「追っかけ」もないだろうが、ご迷惑であったらお許しいただきたい。

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さて、先週は藝大奏楽堂にて「メンデルスゾーン姉弟の歌曲の魅力」と題した企画もの。バイオリン協奏曲や交響曲「イタリア」などで有名なフェーリクス・メンデルスゾーン。実は姉のファニーも音楽の才能にすぐれ、歌曲を中心に素晴らしい作品を作曲していた。メンデルスゾーン家は裕福な資産家(銀行家)であったが、当時は女性が作曲家になるなど許されなかったため、ファニーはフェーリクスの名前を借りて作品を発表していたものもあるらしい。ファニーが嫁いだ画家のヘンゼルが理解のある夫で、ファニーは次々と作品を発表し女性作曲家のパイオニアに位置づけられている。そうした、姉弟の歌曲作品を並べて聞くという楽しみがあった。

もう一つの楽しみは、フィーリクスは水彩画を趣味としていて、その作品は芸術的鑑賞に堪えられるものであったこと(つまり玄人はだし)。この演奏会では、彼の水彩画がプロジェクターで背景に映し出されてとても美しいものであった。瀧井さんと国立西洋美術館の佐藤直樹先生とのトークも織り込まれ、知的好奇心を大変そそられた。まさに、宮田芸大学長も言っておられた、音楽と美術の融合、コラボレーションであり、瀧井さんならではの企画であった。出演者も多田羅さん、永井さんをはじめ藝大教授陣を挙げての豪華なもの。晩秋のひと時を豊かにすごすことができた。

本日の瀧井さんの講演というのは、「鎌倉漱石の会」でのレクチャー。瀧井さんとのメールのやり取りのなかでこのレクチャーを知り、私が鎌倉在住であることもあって、瀧井さんに頼んで参加させてもらった。鎌倉漱石の会は夏目漱石のファンが自主運営している会で、本拠を北鎌倉円覚寺の塔頭「帰源院」に置く。これは、漱石が若い頃参禅し逗留していたことによるものである。会のメンバーは全国から300人も在籍しているようで、開催も今回が95回目。いかに漱石のファンが多いかが分かろうというもの。お弁当とお饅頭、甘酒つきというのも嬉しい。

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12月9日が漱石の命日であることから、まず住職による読経から開始。円覚寺は臨済宗だが、このお経が面白い。臨済宗は法要の途中で坊主が「喝!」と怒鳴ることで知られているが(以前このブログでも書いたような気がする)、本日は「喝」はなかったものの、臨済宗特有の「もりもり、もきもき・・・・」といった笑のとれるお経なのである。

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さて、そのあとお待ちかねの瀧井先生の講義。題名は「『野分』に登場するバイオリニスト「冬田」のモデル」。先生は著書「漱石が聴いたベートーヴェン」など、日本の西洋音楽導入期の事情に大変お詳しい。漱石の著書「野分」に登場する女性バイオリニストは誰か・・・・というちょっとミステリーめいた題材であった。野分に登場する音楽会のプログラムを見れば、演奏者は特定できるのだが、ずばりその人は「幸田延」。芸大の前身である東京音楽学校の教授というか、わが国最初の音楽留学生であり、かの明治の文豪幸田露伴の妹に当たる。

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瀧井さんは、幸田延を軸に、露伴、鷗外、漱石などの文豪や滝廉太郎や寺田寅彦(漱石の友人)を絡ませ、明治期の音楽の潮流を大変楽しく、面白くレクチャーしてくださった。特に興味深かったのは、素晴らしい音楽的才能を発揮し、留学そして藝大の教授に上り詰めた幸田延が、女性であるがゆえにその職を追われ晩年は不遇であった・・・・というくだり。もっとも彼女は「上野の西太后」と揶揄されるほどの権勢を振るったとの見方もあるようだが、時代や洋の東西を異にするものの先に述べたファニー・メンデルスゾーンと一脈通じるものがあるのが不思議であった。

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面白い話をもう一つ。昨日、このレクチャーに備えて、ちょっと予習をした。以前録画しただけで観ていなかったNHKハイビジョン番組「幸田家の人々」(2005年放映)があるのを思い出し、取り出して再生したのである。この番組は、一言でいうと幸田露伴、文、玉、奈緒と続く幸田家のDNAがテーマなのだが、その中に音楽家の幸田延が登場する場面がある。幸田家末裔の奈緒が藝大を訪ねるシーンなのだが、そこになんと瀧井先生が出てこられたのだ。予期せぬことに本当にビックリした。まさに面白いほどの偶然である。私の得意の「シンクロニシティ」か・・・・と友人に話したら、友人はそういうのは「セレンディピティ」というのだと教えてくれた。serendipity・・・・辞書によれば、掘り出し物を偶然見つける能力、予期することなく大きな発見をする能力のことをいう。セレンディピティ・・・・・なんて素敵な言葉なんだろう。私にもその能力があるのだろうか?教えてくれた友人に感謝。

円覚寺は紅葉もなかなか綺麗で、境内は人でごった返していたが、ここ帰源院は全国から集まった漱石ファンで優雅な知的雰囲気が漂っていた。

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2009年9月21日 (月)

弦楽合奏の名曲

弦楽合奏の名曲を聴いた

弦楽合奏の名曲といえば、モーツァルトの「アイネ・クライネ」がまず頭に浮かぶだろうが、私的にはチャイコフスキーの「弦楽セレナード」に止めを刺す。流麗でメランコリックな旋律は、いつ聴いても胸が熱くなる。もっとも、チャイコフスキーはモーツァルトが大好きで、弦楽セレナードを書くきっかけとなったのが「アイネ・クライネ」だというから面白いチャイコフスキーには「フィレンツェの思い出」という隠れた名曲もある通常は弦楽六重奏で演奏されるが、弦楽合奏版もあってこれまたロマンチックな佳曲

さて、私はもともと叙情的な弦楽合奏曲が好きだが、チャイコフスキーのほかにも大好きな曲が沢山ある。同じ弦楽セレナードのくくりで言うと、ドヴォルザークの「弦楽セレナード」。これはチャイコフスキーのそれよりも前に作曲されていて、ブラームスのセレナードを手本にしているようだ。エルガーの「弦楽セレナーデ」もいい曲だ。イギリス人らしい穏やかで優しい心休まる曲だ

グリーグの「ホルベア組曲」も素晴らしい。バロックの様式を模倣して描かれていることもあり、端正で優雅な曲。バロック音楽といえば、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」。この中の第三組曲は弦楽合奏で演奏されるが、特に第三番の「シチリアーナ」は有名。哀愁あふれるメロディは一度聴いたら忘れられない

時代は下って、アメリカの現代作曲家バーバーの「弦楽のためのアダージョ」も名曲中の名曲。10分にも満たない小品だが(もともと弦楽四重奏からの編曲)、叙情と情熱を兼ね備えた旋律は胸を打つ。かのケネディの葬儀に使われて有名になった。バーバーと同じ時代のシェーンベルクが作曲した「浄められた夜」。「女が見知らぬ男に身を任せ妊娠した・・・・」云々、内容はエキセントリック?だが、音楽はうねるような情念に満ちている。シェーンベルクが無調音楽に足を踏み入れる直前の音楽である。独立した楽曲ではないが、しばしば単独で演奏されるマーラーの第五交響曲のアダージェットは感情吐露=ロマンチックの極致といってよいだろう。ヴィスコンティの「ベニスに死す」のテーマ音楽にもなった

以上、思いつくままに挙げてみたが、どれもこれも大好きな曲で、演奏会やFMで放送されると胸がワクワクする。さて、やっと本題になるが、もうひとつ弦楽合奏の名曲を発見した。ラジオやCDでは聴いていたのだと思うが、生演奏を聴いて圧倒されたのが、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン(変容)」(アルミンク指揮の新日本フィル定期)。シュトラウス最晩年の作曲だが、第二次世界大戦の終戦前後に、祖国ドイツが荒廃してゆく様を嘆き、悲しみ、絶望し・・・・その思いを託した名曲である。しかし、その音楽は悲しみから生まれる甘美ともいえる曲想が、聴く者の胸を打つ。永遠に続くかと思われる息の長い旋律が体全体に浸み込み、心を溶かしてゆく

編成が面白い。弦楽合奏ではあるのだが、Vn10,Va5.Vc5,Cb3の弦楽器23丁が合奏ではなく独立して演奏するのであるつまりスコアが23段あるということ。シュトラウス一流の精緻な書法によるが、テクニックが表に出るのではなく、音楽として非常に豊かで悲痛な叫びが聞こえてくる名曲名演奏であった

http://www.youtube.com/watch?v=DRbf71sdTrwアドレス貼り付けてご覧ください。

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2009年8月30日 (日)

未完の名曲

昨年に続き、親銀行(三菱東京UFJ銀行)のオーケストラ演奏会に行った。

私の同業(兄弟会社)の社長さんが、このアマチュアオケでクラリネットを吹いていてお誘いを受けたのである。

場所は墨田トリフォニーホール。曲目は

ウエーバー:魔弾の射手序曲

シューベルト:交響曲第7番(未完成)

サンサーンス:交響曲第3番(オルガン付)

という魅力的なプログラム。

聴きものはメインのオルガン交響曲。いままで何回となく聴いている名曲だが、ライブで聴くとオルガンの音が小さいことが多い。今日の演奏はオルガンの音色がよく聴こえてとてもよかった。空気の振動する様を実感できるのは快感である。特に、第一楽章の後半はオルガンとオーケストラ、特に弦楽器の掛け合いがとても美しく、まるで大聖堂でミサを授かっているような雰囲気であった。オケも熱演で、終盤の盛り上がりが感動を与えた。

さて、問題・・・・というか、驚いたのは未完成。こんなゆっくりとしたテンポの未完成を聴いたのははじめてである。アマチュアのオケだからテンポを落としているわけではない。指揮者(山口哲人)の解釈である。第一楽章の終わりでは、演奏がストップしてしまうのではないかと、ハラハラしたほどである。経過部分のホルンのソロなどは引っ張るだけ引っ張って吹いていて、よく我慢したと思う。

テンポが遅いだけではなく、伸縮もユニーク。解釈も重厚で、金管群もかまわず強奏する。まるで、ワーグナーを聴いているような錯覚を覚えた。あるいは、かのフルトヴェングラーが未完成を振ったらこんな具合になるのではなかろうか?最近は、躍動感あふれるスッキリとした演奏が多い中で、こうした重厚な解釈は珍しい。その意味で大変楽しめた演奏ではあった。

社長さんのクラリネットはこの未完成に登場。クラリネットソロはとても品のよい雰囲気のある演奏でさすが。

アンコールは、エルガーの威風堂々。大いに盛り上がった。再来年の2月~3月ころ、銀行合併5周年を祝し、銀行オーケストラと銀行合唱団の共演でベートーヴェンの第九を演奏するらしい。合唱団の人数が足りないので、私の合唱団にも出演依頼が来ている。アンコールには、この威風堂々を歌いたいな。私は二度ほど合唱付の威風堂々を歌ったが、大変気持ちよく、歌いたい曲である。

さて、来週は銀行合唱団の演奏会である。

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2009年8月18日 (火)

七色銀の鈴

前回号で、藝大学長の宮田亮二さんの話をしたのだが、今日の日経新聞朝刊をみて驚いた。

日本を代表する「金属工芸家」宮田藝大学長の一番ポピュラーな作品が、東京駅地下グランスタにある「銀の鈴」。なんと、日経の「首都圏けんてい」欄でグランスタが紹介されていて、宮田さんの「銀の鈴」が大きく採り上げられていたのである。

これもシンクロか?大体において、私はこの手のシンクロが多い。ちなみに、シンクロとはシンクロニシティのこと。竹内まりやの歌ではなく(笑)、ドイツの心理学者カール・ユングによって提唱された共時性=偶然の一致のことである(乱暴な言い方で正確性に欠くがお許しいただきたい)。

新聞記事によると、現在の銀の鈴は4代目。描かれている図柄は、前回紹介した宮田さんが得意とするシュプリンゲン=イルカが描かれていて、これはJRならではの旅立ちを表現しているそうだ。ちょっと、こじつけ気味だが、なるほど!

この四代目銀の鈴はグランスタ開業にあわせて付け替えられたものだが、最近下部からライティングされるようになった。しかも、七色光線(表現古いが)で時間に応じて色がくるくる変わる。これは、ちょっと品がないなあ。いくら、宮田さんが遊び心に富んだ、フットワークの軽い人でも、ここまでくるとやりすぎ感がある。七色光線は後から別の人が付け足したのではないかと考えるが、どうだろうか。

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さて、今夏休み特集としてNHKハイビジョンで「絶景シリーズ」と銘打ったヨーロッパの紀行番組をやっている。日曜日はフランス特集。先日旅行してきたばかりなので、つい全編4時間見てしまった。

今夜は早く帰宅してテレビをつけると「ドナウ川」シリーズをやっていた。フランスもドナウ川もかつての特集番組を再編集したものだが、ハイビジョン画像は大変美しい。今夜も全編2時間タップリ観てしまった。二年前にやはり家族旅行でオーストリー、チェコ、ハンガリー中欧三カ国を観光したので、懐かしい画像のオンパレードだった。

今夜のドナウ編は画像もよいが、バックに流れる音楽がハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ヨハン・シュトラウスなどなど名曲揃い。目も耳も楽しませてもらった。シュトラウスの「美しき青きドナウ」ではじまり、イヴァノヴィチの「ドナウ川のさざなみ」で終わる選曲も心憎い。

特筆すべきは、ソプラノの幸田浩子ちゃん(「ちゃん」というのは、いつもFM番組の「きままにクラシック」で相方の笑瓶が呼んでいる)の5年前の可愛い姿が見られること・・・・もちろん、歌声も素敵である。

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2009年8月16日 (日)

藝大学長からのエール

「題名のない音楽会」は大昔から親しんでいるクラシック音楽番組。ギネスブックにも登録されている長寿番組だ。

先週、今週と45周年記念「伝説の名場面スペシャル」をやっていた。司会者は黛敏郎、武田鉄也、羽田健太郎、いまの佐渡裕へと続くが、どれもこれも懐かしい想い出でいっぱいだ。特に驚いたのは、30年前に録画された岡本太郎のピアノ。岡本はアンチ・音楽論者だと紹介された。絵画はどんな下手な人でも描けるが、音楽は楽器を介在しないと演奏できないからだという。なるほど、と思ったが、この言に反して、岡本太郎の弾くピアノは凄かった。ショパンの軍隊ポロネーズ。もちろん、完璧な演奏ではなかったが、グランドマナーというか堂々とした演奏スタイルは、分野は違うが、一流と呼ばれる芸術家は凄いと感じ入った次第。

また、美空ひばりの「トスカ」。「歌に生き恋に生き」の堂々たる貫禄。まさに、この題名からして、名実ともに美空ひばりに書かれた曲のようではある。

http://www.youtube.com/watch?v=HX2U_VN0jN0

さて、なぜかこの記念番組に、東京藝大学長の宮田亮平さんが出演していた。彼は、司会者の佐渡裕の友人で、佐渡の「題名のない」初回番組に友情出演したそうだ。なぜ、親しいか・・・・・宮田さんは生まれが新潟県の「佐渡」だから・・・・と発言していたが、なかなか宮田さんは面白い人である。いや、初めて尊顔を拝したが、フットワークが軽くユニークな人・・・・・とても学長とは思えないノリのよい人なのだ。爆笑問題のテレビ番組に出演するし、大学構内を自転車で乗り回す。私自身も、周りから「とても○○に見えない」と陰口をたたかれているようだが、私は「軽い」、宮田さんは「ノリがいい」レベルは違うが(笑)・・・・・親近感を感じる。

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このブログで宮田さんを採り上げたのは、もちろんマルガツで10月に藝大さんとのコラボレーション(オペラ・ガラコンサート)があるからだ。宮田さんの作品を見たければ、東京駅の地下、最近評判のグランスタに行ってみるといい。そこにある「銀の鈴」が宮田学長の作品である。彼はわが国有数の金属工芸家である。特に、シュプリンゲンというイルカをモチーフにしたシリーズは、銀の鈴でも見ることができる。

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宮田学長は、題名のない音楽会の番組の中でこう言っていた「題名のない・・・・はこれから美術とのコラボレーションをやったらいい」。また、「藝術に枠を作ってはダメだ」とも。藝術教育に携わる人たちへの要望として、異分野への挑戦をどんどんやってほしいという話だったが、私には丸の内合唱団へのエールに聴こえたのである。ほかの合唱団にないユニークなマルガツらしさを大切にしてほしいものである。

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2009年7月22日 (水)

巨星墜つ! 若杉弘

名指揮者 若杉弘が亡くなった。享年74。ダジャレではないが「若すぎた」死である。

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若杉は大好きな指揮者だった。著名な日本人指揮者としては小澤征爾にトドメを刺すが、実力的には若杉のほうが上だったような気がする。そのキャリアをみれば、ケルン放送響首席指揮者、ドレスデンシュターツカペレ常任指揮者、バイエルン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場、ラインドイツオペラ音楽総監督(以上wikipedeia)など特にドイツ圏でのオペラ指揮者としてのキャリアは素晴らしい。日本でも、東京都交響楽団音楽監督、最晩年は新国立劇場の芸術監督を務めている。

私の若杉への思い入れは、40年以上も前、中学校の頃におそらく初めて聞いたコンサートの指揮者が若杉だった頃から始まる。平塚の市民会館の読響公演で、ブラームスの1番を聴いたのをはっきり覚えている。赤ちゃんが生まれてはじめて見る親のような感覚である。

その後かなり時代は下るが、都響音楽監督時代のマーラー全曲演奏会(1988年~)、これに続くワーグナーチクルスは素晴らしかった。今でこそマーラーの全曲演奏会は珍しくないが、当時としてはかなり画期的なもので毎回胸をわくわくさせながらサントリーホールに足を運んだ。若杉のタクトは非常に明快で、各旋律をクッキリと浮かび上がらせるところに快感が生まれる。奇をてらったところのない演奏だが、ダイナミックレンジも大きくメリハリが利いている。指揮振りもスマートでカッコよいのだ。

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マーラーで感動したのは、2番、3番など声楽が入る曲。大曲なのでソリストは通常楽章の合間に入場するのだが、若杉は前の楽章の途中、フォルテの総奏でシンバルがジャーンと鳴るような時にソリストを入場させた。まるで歌舞伎俳優が大見得を切って花道から舞台に上がるような心憎い演出で、なんてカッコよい・・・・思わず鳥肌がたったものだ。

面白かったのは、ワーグナーチクルスの一夜。アンコール?を演奏する前だったと思うが、若杉が客席に向って挨拶をした。その時発した言葉が「毎度ありがとうございます・・・・」。クラシックコンサートに「毎度あり」はいかにも似合わず、思わず苦笑したのを覚えているが、意外と庶民的な感じがして親しみが持てた。

その後彼の演奏会とは遠ざかっていたが、数年前横浜能楽堂での公演で彼と出くわした。よく覚えていないのだが、演目は「井筒」だったと思う。あつかましい(笑)私としては嬉しくなって休憩時間に声を掛けた。新作オペラで同じ演目を演奏するのでお能を観に来ていたということだった。研究熱心な人だなと感心したことを覚えている。

また、ある方のご紹介で日本舞台藝術振興会の新年会に行ったとき、若杉夫妻が来ていた(奥様は著名なアルト歌手長野羊奈子)。このときも二言三言お話をしたのだが、「ぜひ新国(新国立劇場)にもきてください」と熱っぽく語っていたのを思い出す。晩年は、新国の盛り上げに傾注していたのだ。

若杉は「オペラの子」であり、現代オペラ曲の日本初演を数多く手がけるなど、日本のオペラ界に貢献した功績は非常に大きい。ますます円熟の域に達するのを楽しみにしていただけに惜しまれてならない。ご冥福をお祈りする。

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2009年7月 9日 (木)

異形(いぎょう)の「運命」

いやー、驚いた。そして、めちゃくちゃ楽しかった。感動したかは別として・・・・・「運命」、そうベートーヴェン第五交響曲である。

合唱団員にはネタバレだが、ある方からコンサートのご案内をいただき、サントリーホールに出かけた。仕事が遅くまであったので、後半からしか聴くことが出来なかったが。プレトニョフ指揮のロシア・ナショナル管弦楽団のサントリー公演で前半がベト7で後半が運命。

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休憩時間に舞台を見ると、最近では珍しくなくなった「対向配置」。そう、このブログでも何回か紹介した、バイオリンが第一、第二と左右に分かれる配置のことである。これは、ビブラートを抑えたピリオド奏法で、颯爽と演奏する、流行のスタイルかと思い込んでしまった。

ところが、である。全く期待を裏切られた。といって、ドイツ伝統風の重々しい解釈でもない。なんと言ってよいか、本当に「変な」音楽なのである。第一楽章の出だしからして、なんて遅く、重いのだろうとビックリさせられる。確かに全体に遅めの運びなのだが、テンポがくるくる変わる。さらに、オーケストラ、特に弦楽器がテヌートかつマルカートで、これでもかと弓を一杯に使って弾きまくる。インテンポで推進力に富んだ音楽に慣れた耳には、なんとも居心地の悪い演奏なのである。

しかし、ここまでやりたい放題徹底してやられると、すごく楽しくなってくる。指揮ぶりは無骨で細かな指示も出していないように見えるが、聴こえる音楽は変幻自在なのである。チャイコフスキーなどお国柄のロマンチックな曲目ではフィットすると思うが、ベートーヴェンの音楽とは似て非なるもの。噂によると、逆にロマン派はインテンポで指揮したりするらしいから、彼には時代考証なんて関係ないのだろう。作曲家○○の音楽ではなく、まさにプレトニョフの音楽である。ここまでくれば、喝ではなくアッパレを差し上げたい(笑)。このブログのサイドバーのMixpodを聴いてほしい。

それにしても、オケはやはりロシアのオケ。なんとも音がデカイ。金管はいうに及ばずだが、弦楽器の隆々たること。特にチェロの豊かで豪放な音、ビオラの深い響きは日本のオケでは絶対に聴けない。快感そのものである。アンコールに、バッハの「G戦上のアリア」が演奏されたが、通常の編曲とは異なり(ストコフスキー編曲?)、チェロを思いっきりフィーチャーしたもの。おそらくこのオケのチェロが自慢なのだろう。

こんな演奏はめったに聴けるものではない。感動はしなかったけど、めちゃくちゃ楽しかった。

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2009年6月 6日 (土)

熱狂の日 再び

教育テレビの「藝術劇場」で今年のラフォルジュルネ(熱狂の日)の特集をやっていた。

この番組をみて驚いた。テレビ番組で4つのコンサートが紹介されていたが、このうち2つが、私の聴きにいった演奏会だった。具体的には、ビオンディのヴィヴァルディ「四季」。バーバラ・ヘンドリクスのペルコレージ「スターバト・マーテル」。いずれもこのブログで紹介している。

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-6e63.html

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-9f99.html

あまたコンサートがあったなかで、この確率は我ながら凄いと思う。自慢話ではないけれど、私の選曲眼もなかなかのものでしょ(笑)。

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2009年5月27日 (水)

合唱団はお呼びじゃない?!

前回ブログの続きである。合唱団がいらないというのは、大問題である。

バッハの宗教曲を聴いていて、近年の流行は合唱の各パートを1人で歌う・・・場合によってはソリストを兼ねるという、大変な演奏方法が定着しつつあることである。

これをOVPPという。ブランデーのVSOPではない(もう死言だが)。One Voice Per Partの略である。ラフォルジュルネ(熱狂の日)のリチェルカーレ・コンサートの演奏はまさにこのOVPP。最後に聴いた、鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパンによる「ヨハネ受難曲」でも、各パート1人ではなかったが、合唱はパートあたり3人程度に刈り込んでいた。

なんで、こんなことになったのか?最近の不景気の影響で演奏にもコストカットが求められているのか・・・・・いや、ちゃんと理由があるのである。一昔前までは、バッハの宗教曲では大人数の合唱とソリスト、そしてちゃんとしたオーケストラがついていた。ところが、前回のブログでも述べたように、作曲当時の演奏をそのまま再現するという潮流が大きくなり、必然的にオーケストラも声楽も少人数になってきた。バッハでも、これまた有名な「ブランデンブルク協奏曲」もオーケストラ各パート1人の演奏形式も当たり前になってきている。

考えてみるに、バッハの複雑かつ絡み合うポリフォニーの処理、繊細な表現、言葉の明瞭性などを重視すれば、各パートの数を減らしたほうが良いことは明らかである。我々、丸の内合唱団がモテットを歌った際も、特にあの気の遠くなるようなメリスマを100人規模の合唱団で歌うことの難しさを、いやというほど味わった。なかでも言葉の表現力は大切で、音楽学者の礒山雅さんは「バッハのカンタータは単なる音楽ではなくて、人間として生きるうえでの宗教的なメッセージである。それには言葉を重視した演奏でなければならない。」「そして、それ以上に大切なのは、歌手一人ひとりが人間的なレヴェルで音楽とかかわりを持つこと。演奏者全員が親密な関係をもち話し合いながら音楽を作ってゆくことだ」と言っています。大人数の合唱では、そうした目標の達成がなかなか難しいのは確かなのである。

メリスマで思い出したが、最近は例えば、ホホホホとかハハハハと各音符を切って歌うのは古めかしい歌い方らしい(合唱団の団友の話)。別の合唱団の指導者も、そういう歌い方は間違いだと指摘していた。熱狂の日でも、プロの歌い手はメリスマは各音符の音価を保ちながら「レガート」で歌っていた。我々、マルガツにこのように歌えといわれても難しいだろうが・・・・・。

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さて話を戻すと、こうした傾向に拍車を掛けたのが、音楽学者であり指揮者でもあるジョシュア・リフキンの考証である。リフキンはバッハの時代、ライプチッヒの合唱隊は様々な理由で人数を確保する事が出来ず、原則各パート1人で歌っていたことを突き止めた。それどころか、ソリストと合唱の区別がない・・・つまり、オーケストラとソリスト4人(合唱を兼ねる)で演奏したというのだ。これはまだ、定説にはなっていないが、現時点では有力な説として認められている。実は、このOVPPはリフキンが提唱した演奏形式で、日本ではリフキン方式とも呼ばれている。実際、リフキンは「ロ短調ミサ曲」でこのOVPPを実演している(CDもある)。

マルガツがアンコールで歌った「主よ人の望みの喜びよ」はリフキンの演奏ではこうなります。http://www.youtube.com/watch?v=Q2MVohd9yJE

いずれにしても、各パート1人なんてことになると、合唱団の出番はなくなるし、仮に歌うことになってももの凄いプレッシャーだろう。以前、マルガツの練習でバスパートが私1人しかいなくて、大変往生した。OVPPなんてとてもじゃなけれど、勘弁、勘弁。

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2009年5月24日 (日)

女性は教会で黙すべし

大分間が空いてしまったが、ラフォルジュルネ(熱狂の日)の続きを書きたい。

今回の一連のコンサートで、一番驚き、最も感激したのは「カウンターテナー」の上手さであった。カウンターテナーとは成人男性が主にファルセット(裏声)を使って女声の音域(アルトが多い)を歌うこと、あるいは歌う歌手のことである。

わが国でこのカウンターテナーが広く知られるようになったのは、「もののけ姫」を歌った米良美一を嚆矢とする。もちろん、米良はもともとクラシックの歌手なのだが、最近は合唱を聞きにいっても、男声がアルトに混じって歌っているのをチラホラ見かけるようになった。バッハのカンタータ、ミサ曲などの宗教曲でも、いまやカウンターテナーが大活躍、女声歌手(主にアルト)の存在を脅かすまでになっている。

この背景には、1970年代からバロック音楽を席巻しつつある、古楽器演奏の潮流がある。例えば、バッハを演奏する際には当時の楽器=古楽器、オリジナル楽器を使うという流れである。確かに現代楽器はロマン派の時代を経て、大きく、そして輝かしい音が出るように改造されたもので、バッハの時代に演奏されていた音とは大きく異なる。楽器そのものばかりか、ピッチを低く取ったり、演奏方法もビブラートをほとんど掛けない「ノンビブラート」の演奏が主流になっている。

となると、必然的に声楽も当時のオーセンティックなものが求められるようになってくる。実は、当時ヨーロッパ教会では「女性は黙すべし」という、今考えるととんでもないシキタリがあって、歌を歌うことが出来なかったらしい。まあ、男尊女卑の考え方は洋の東西を問わずあったわけで、芸能では日本も能楽や歌舞伎は女性ご法度であった。したがって、教会では少年がボーイソプラノとして女声パートを歌っていたが、少年では表現力に限界があるため、アルト部分を成人男性が裏声で歌うようになったのである。

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現代の古楽演奏が行き着くところ・・・・・バッハの時代の演奏を再現するという目的には、カウンターテナーがなくてはならないのである。10年以上前までは、カウンターテナーも少数しかいなかったし、日本でも好奇の目で見られていたことは確か。しかし、今回の熱狂の日では、素晴らしいカウンターテナーに接することが出来た。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手でもあるフリップ・ピエルロ(上記写真)率いるリチェルカーレ・コンソート(ベルギー)の演奏で聴いた、カルロス・メナその人である。

演奏曲目は、

①ヨハン・クリストフ・バッハ:ラメント(哀歌)「ああ、私の頭が水で満ちていたら」

②バッハ:カンタータ第4番「キリストは死の縄目に繋がれたり」bwv147

③バッハ:カンタータ「主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ」bwv131

Menacarlos2

リチェルカーレ・コンソートの演奏は、しみじみとした情感に満ち、深い精神性をたたえた演奏。本当に良いものを聴いたなという感想であった。特に、カウンターテナーのメナの声は素晴らしい。正直、冒頭で採り上げた米良美一の「カウンターテナーってこの程度」という概念を大きく打ち破る大変立派な声なのだ。言葉では言い表せないもどかしさああるが、芯のある伸びやかな声。音量も十分でノンビブラートの艶やかな音の塊が、聴く者の胸をついてくる。それでいて押しつけがましくない端正な表現。中性的という表現は当てはまらないが、男性にない色気も感じさせる、なんともいえない生理的に美しい声なのだ。

このコンサートの前に、ペルコレージの名曲「スターバトマーテル」(悲しみの聖母)を聴いたのだが、ソリストは著名なバーバラ・ヘンドリクス。しかし、その大きなビブラートには正直幻滅した。60歳という年齢のせいもあろうが、女声にはビブラートが付きまとう。宗教曲はやはりノンビブラートの清純な声で聴きたいものである。この点、カウンターテナーでは、ほとんどビブラートがかからず、清明な神の世界に遊ぶ雰囲気に浸れるのである。

このあと、書きたかったOVPP・・・VSOPじゃありません(古い!)、One Voice Per Partについては、長くなったので次回に回します。

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