2012年5月29日 (火)

大学の聴講生になって。

先週、大学時代の後輩である藤野達也氏の授業を聴講した。

後輩といっても大学は違う。今はなき「三木ハイム」という学生寮の後輩である。藤野氏は卒業後、民間企業に勤務したが、ひょんなことから岩村昇医師(アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞受賞)と知り合いになり、国際協力NGOの道に足を踏み入れた。以来30年余、神戸にあるPHD協会の中心人物として活躍、今回わけあって、東南アジアに移住する予定だという。

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-9729.html

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彼が日本を離れるに当たって、やはり同じ学生寮の後輩が、江戸川大学で教鞭をとっており、特別に講義をすることになったのだ。学生達に混じって、我々学生寮のOB約10人が集い、聴講した。

約1時間半の短い時間だったが、目からウロコの講演だった。というか、私が余りに国際協力に無知だったからかもしれないが。当日の講義を聴いて、私なりに例示を交えて解釈したのが以下である。

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国際協力には段階があるという。まず、第一段階は直接的な支援。先進国と発展途上国との格差を埋めるため、資金や物資などを支援するもの。一番身近な国際協力であるが、対象となる住民の自立を阻害するというマイナスの影響もある。

第二段階は技術的な援助である。先進国の優れた技術を途上国に移転、定着させることにより、住民の生活を向上させる。現在、最も多く行われているパターンで、国際協力というとこのイメージが強いだろう。例えば、国際協力で病院を建設し、医師の教育もあわせて行うようなことも含まれる。事例として話されたのは、漁業を生業とするが自給自足の状態の住民がいるとする。そこに、漁具を与え、魚の獲りかたを教えるイメージである。

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ところが、これが進むとどうなるか。漁師の例で言うと、魚が沢山獲れるようになり、それを村の市場に売りに行く。対価に貨幣を得る事になり、それで物品を買えるようになる。貨幣経済が導入されるということだ。生活の向上と経済の進化は不可分であるし、これ自体を否定するものではない。しかし、貨幣経済が導入されると、そのマイナス面も出てくるのである。住民の間に格差=貧富の差が生まれる。また、多くの先進国が人口の多い途上国の潜在的なマーケットを狙って進出してくる。これは、現地での雇用を含めて、広い意味の国際協力といえなくも無い。しかし住民の経済力が伴わないと、住民のわずかな富が搾り取られることになる。果ては、悪質なマイクロファインンス(慈善事業の名を借りた高利貸)の話まででる昨今である。

これが、本当に住民にとって幸せかどうかは、我々先進国の人間には判断できないし、押し付けてはならないのだと思う。講義で一番印象的だった話をしよう。ネパールだったか、食事の後片付けをしている女性の写真が出てきた。この村は都市からバスで3時間、歩いて1時間の奥地にある。カレーだったか、脂っこい料理が多いし、水も潤沢にはないので皿を洗うのには骨が折れる。どうしたものかと見ていると、煮炊きに使った薪の灰を持ってきて、それを皿につけて洗っているのだ。まさに生活の知恵である。

ところが近年は、こうした村にも雑貨用品店が出来、洗剤やシャンプーを売っているのだという。箱やボトルでは買うだけの資金が無いので、洗剤もシャンプーも数回分のパックに小分けして店に並んでいる。それを買うために金を稼ぐという構図。

確かに生活は便利になるのだろう。しかし、従来でも何一つ困っていなかったのだ。先進国が国際協力という名の下に、「結果として」持ち込んだ便利な品々や技術を競って入れる必要が本当にあるのだろうか・・・・という指摘である。

藤野氏は30年来、こうした国際協力に携わってきたのだが、近年上記のような矛盾に身をさいなまれ、とうとう組織を飛び出して東南アジアに身を投じることになったのだという。現地では、先進国が持ち込むものに対して、盲目的に受け入れるな・・・・と住民達に警鐘を鳴らしたいと語る。

我々、還暦を目の前にしてのまさに英断には敬意を表したい。こうした「警鐘」を1人でも多くの住民に聞いていただきたい。そして、「警鐘」は国際協力をする側である、我々にも向けられていることを肝に銘じたいと思うのだ。

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