2009年12月 6日 (日)

瀧井敬子 先生のこと

このところ、瀧井敬子 先生の追っかけをやっている。

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瀧井敬子先生とは、今年の「藝大アーツin東京丸の内」でお世話になった、東京藝術大学の教授である。丸の内合唱団が参加したこのイベントについては、感激を持ってこのブログに書いたが、イベントの総合プロデューサーを務められたのが瀧井先生である。また、我らがマルガツに藝大との共演という白羽の矢を当てていただいた張本人である。

瀧井さんについては、このブログでも何回か登場いただいたが、藝大というともすると閉鎖的になりがちな象牙の塔にあって、既成概念にとらわれない素晴らしいイベントを次々と成功させているとてもユニークな先生である。その活動はエネルギッシュで、人の何倍も働いてこそはじめて事がなる・・・・といった誠心誠意を信条としておられる、まことに頭が下がる方なのだ。私などは、先生のパワーと実行力にすっかり圧倒され、瀧井門下生?として教えを請うている。

冒頭に「追っかけ」と書いたのは、先週の日曜日と今週の日曜日立て続けに瀧井さんの講演に出かけたからである。この歳で「追っかけ」もないだろうが、ご迷惑であったらお許しいただきたい。

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さて、先週は藝大奏楽堂にて「メンデルスゾーン姉弟の歌曲の魅力」と題した企画もの。バイオリン協奏曲や交響曲「イタリア」などで有名なフェーリクス・メンデルスゾーン。実は姉のファニーも音楽の才能にすぐれ、歌曲を中心に素晴らしい作品を作曲していた。メンデルスゾーン家は裕福な資産家(銀行家)であったが、当時は女性が作曲家になるなど許されなかったため、ファニーはフェーリクスの名前を借りて作品を発表していたものもあるらしい。ファニーが嫁いだ画家のヘンゼルが理解のある夫で、ファニーは次々と作品を発表し女性作曲家のパイオニアに位置づけられている。そうした、姉弟の歌曲作品を並べて聞くという楽しみがあった。

もう一つの楽しみは、フィーリクスは水彩画を趣味としていて、その作品は芸術的鑑賞に堪えられるものであったこと(つまり玄人はだし)。この演奏会では、彼の水彩画がプロジェクターで背景に映し出されてとても美しいものであった。瀧井さんと国立西洋美術館の佐藤直樹先生とのトークも織り込まれ、知的好奇心を大変そそられた。まさに、宮田芸大学長も言っておられた、音楽と美術の融合、コラボレーションであり、瀧井さんならではの企画であった。出演者も多田羅さん、永井さんをはじめ藝大教授陣を挙げての豪華なもの。晩秋のひと時を豊かにすごすことができた。

本日の瀧井さんの講演というのは、「鎌倉漱石の会」でのレクチャー。瀧井さんとのメールのやり取りのなかでこのレクチャーを知り、私が鎌倉在住であることもあって、瀧井さんに頼んで参加させてもらった。鎌倉漱石の会は夏目漱石のファンが自主運営している会で、本拠を北鎌倉円覚寺の塔頭「帰源院」に置く。これは、漱石が若い頃参禅し逗留していたことによるものである。会のメンバーは全国から300人も在籍しているようで、開催も今回が95回目。いかに漱石のファンが多いかが分かろうというもの。お弁当とお饅頭、甘酒つきというのも嬉しい。

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12月9日が漱石の命日であることから、まず住職による読経から開始。円覚寺は臨済宗だが、このお経が面白い。臨済宗は法要の途中で坊主が「喝!」と怒鳴ることで知られているが(以前このブログでも書いたような気がする)、本日は「喝」はなかったものの、臨済宗特有の「もりもり、もきもき・・・・」といった笑のとれるお経なのである。

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さて、そのあとお待ちかねの瀧井先生の講義。題名は「『野分』に登場するバイオリニスト「冬田」のモデル」。先生は著書「漱石が聴いたベートーヴェン」など、日本の西洋音楽導入期の事情に大変お詳しい。漱石の著書「野分」に登場する女性バイオリニストは誰か・・・・というちょっとミステリーめいた題材であった。野分に登場する音楽会のプログラムを見れば、演奏者は特定できるのだが、ずばりその人は「幸田延」。芸大の前身である東京音楽学校の教授というか、わが国最初の音楽留学生であり、かの明治の文豪幸田露伴の妹に当たる。

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瀧井さんは、幸田延を軸に、露伴、鷗外、漱石などの文豪や滝廉太郎や寺田寅彦(漱石の友人)を絡ませ、明治期の音楽の潮流を大変楽しく、面白くレクチャーしてくださった。特に興味深かったのは、素晴らしい音楽的才能を発揮し、留学そして藝大の教授に上り詰めた幸田延が、女性であるがゆえにその職を追われ晩年は不遇であった・・・・というくだり。もっとも彼女は「上野の西太后」と揶揄されるほどの権勢を振るったとの見方もあるようだが、時代や洋の東西を異にするものの先に述べたファニー・メンデルスゾーンと一脈通じるものがあるのが不思議であった。

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面白い話をもう一つ。昨日、このレクチャーに備えて、ちょっと予習をした。以前録画しただけで観ていなかったNHKハイビジョン番組「幸田家の人々」(2005年放映)があるのを思い出し、取り出して再生したのである。この番組は、一言でいうと幸田露伴、文、玉、奈緒と続く幸田家のDNAがテーマなのだが、その中に音楽家の幸田延が登場する場面がある。幸田家末裔の奈緒が藝大を訪ねるシーンなのだが、そこになんと瀧井先生が出てこられたのだ。予期せぬことに本当にビックリした。まさに面白いほどの偶然である。私の得意の「シンクロニシティ」か・・・・と友人に話したら、友人はそういうのは「セレンディピティ」というのだと教えてくれた。serendipity・・・・辞書によれば、掘り出し物を偶然見つける能力、予期することなく大きな発見をする能力のことをいう。セレンディピティ・・・・・なんて素敵な言葉なんだろう。私にもその能力があるのだろうか?教えてくれた友人に感謝。

円覚寺は紅葉もなかなか綺麗で、境内は人でごった返していたが、ここ帰源院は全国から集まった漱石ファンで優雅な知的雰囲気が漂っていた。

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2009年8月23日 (日)

面白写真集vol.3

旅行面白写真の続きです。

シャルトル大聖堂にあった聖母マリアの「聖衣」。サンクタ・カシミアと呼ばれ、マリアがイエスを産むときに着ていたチュニックだという。カトリックの世界で言うところの「聖遺物」である。世界中には聖遺物がごまんと存在するが、当然のこととしてその真偽は疑わしい・・・・・いや、はっきり言ってニセモノである。

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例えば、広く知られる聖槍(せいそう)、聖杯、聖骸布などなど。聖槍は十字架上のイエスを刺した槍のことで、イエスの血に触れたものとしてあがめられている。これを手中に収めた者は天下を取るとの伝説から、ヒトラーが気に入っていたことは有名。また、聖杯はイエスが最後の晩餐で「これは私の血である」といって弟子達とワインを飲んだ盃。のちに、数々の聖杯伝説を生むことになる。また、聖骸布はイエスが磔刑に処された後に遺体を包んだ布のこと。イタリアのトリノ大聖堂の聖骸布が有名(写真)。

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一番我々に身近なのは、映画インディージョーンズ。一作目が「失われたアーク(モーゼの十戒を収めた容器)」、三作目「最後の聖戦」ではまさに聖杯が採り上げられている。

次は、ルーアン旧市街のチョコレート屋さんのショウウインドウ。盆栽風のデコレーションで、盆栽はフランスでもブームのようだ。

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ルーアン大聖堂にて。主祭壇の周りにはキリストの一生(あるいは受難など)をテーマにした彫刻が並んでいることが多い。たまたま目にした面白い表現。最初の写真は幼児期リストの「割礼」の場面。ユダヤ教の儀式ではあるが、嫌がっている(痛がっている)?のはほほえましい。次の写真は、キリスト昇天。天に昇る様を、キリストの足元だけを描くことで示している。これには笑ってしまった。

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ルーブルに展示されていた彫刻。背中は天使の手か?詳しくはわからないが、これもなんともほほえましい。

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ルーブル美術館。ブラチェスコの受胎告知。我々がよく知っている受胎告知の絵は、フラ・アンジェリコやダヴィンチの静謐かつ劇的な場面。ところが、このブラチェスコのものは、大天使ガブリエルから告知されてよろめいているようだ。というか、これは迷惑そうな表情にも見える。軽いノリというか、吉本の漫才を見ているようだ。

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これもルーブル。ドラローシュの「アルプスを越えるナポレオン」。ロバに乗ったなんとも弱弱しい姿。同じテーマを扱った、ナポレオンのお抱え画家ダヴィッドの作品が有名だが、実際はドラローシュの絵のようだったのだろう。

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2009年8月18日 (火)

七色銀の鈴

前回号で、藝大学長の宮田亮二さんの話をしたのだが、今日の日経新聞朝刊をみて驚いた。

日本を代表する「金属工芸家」宮田藝大学長の一番ポピュラーな作品が、東京駅地下グランスタにある「銀の鈴」。なんと、日経の「首都圏けんてい」欄でグランスタが紹介されていて、宮田さんの「銀の鈴」が大きく採り上げられていたのである。

これもシンクロか?大体において、私はこの手のシンクロが多い。ちなみに、シンクロとはシンクロニシティのこと。竹内まりやの歌ではなく(笑)、ドイツの心理学者カール・ユングによって提唱された共時性=偶然の一致のことである(乱暴な言い方で正確性に欠くがお許しいただきたい)。

新聞記事によると、現在の銀の鈴は4代目。描かれている図柄は、前回紹介した宮田さんが得意とするシュプリンゲン=イルカが描かれていて、これはJRならではの旅立ちを表現しているそうだ。ちょっと、こじつけ気味だが、なるほど!

この四代目銀の鈴はグランスタ開業にあわせて付け替えられたものだが、最近下部からライティングされるようになった。しかも、七色光線(表現古いが)で時間に応じて色がくるくる変わる。これは、ちょっと品がないなあ。いくら、宮田さんが遊び心に富んだ、フットワークの軽い人でも、ここまでくるとやりすぎ感がある。七色光線は後から別の人が付け足したのではないかと考えるが、どうだろうか。

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さて、今夏休み特集としてNHKハイビジョンで「絶景シリーズ」と銘打ったヨーロッパの紀行番組をやっている。日曜日はフランス特集。先日旅行してきたばかりなので、つい全編4時間見てしまった。

今夜は早く帰宅してテレビをつけると「ドナウ川」シリーズをやっていた。フランスもドナウ川もかつての特集番組を再編集したものだが、ハイビジョン画像は大変美しい。今夜も全編2時間タップリ観てしまった。二年前にやはり家族旅行でオーストリー、チェコ、ハンガリー中欧三カ国を観光したので、懐かしい画像のオンパレードだった。

今夜のドナウ編は画像もよいが、バックに流れる音楽がハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ヨハン・シュトラウスなどなど名曲揃い。目も耳も楽しませてもらった。シュトラウスの「美しき青きドナウ」ではじまり、イヴァノヴィチの「ドナウ川のさざなみ」で終わる選曲も心憎い。

特筆すべきは、ソプラノの幸田浩子ちゃん(「ちゃん」というのは、いつもFM番組の「きままにクラシック」で相方の笑瓶が呼んでいる)の5年前の可愛い姿が見られること・・・・もちろん、歌声も素敵である。

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2009年8月16日 (日)

面白写真集vol.2・・・食いしん坊編

フランス旅行第四弾。今回は食べ物を中心とした話題にしよう。

フランスはワインの国だが、北部ノルマンジー地区はブドウノ栽培に適さない。そこで、ワインに代わってりんごのお酒、シードルが飲まれている。ルーアンでも、モンサンミッシェルでもそうだった。アルコール度数は3度くらいだから、お酒が飲めない私には丁度よい。面白いのは、グラスではなく、コーヒーカップのような陶器で飲むこと。フランスでは酒の部類に入らないのかもしれない(以下の写真は全てクリックするとポップアップします)。

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フランス一、いや世界一の観光地「モンサンミッシェル」はノルマンディーとブルターニュの境目にある。ここでの名物料理は二つ。一つは有名な「巨大オムレツ」。オムレツというより、シフォンケーキのような味わいだ。昔、島に渡ってくる巡礼者のためにボリュームのある食事を・・・・とマダム・プーラールが考案したものらしい。名人技により凄く泡立てられた卵をふわっと焼いてくれる。淡白で甘くなのでペロッと平らげた。

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もうひとつの名物が「プレ・サレ」。正確には、モンサンミッシェル周辺のプレサレ=低湿地帯で育てた子羊の肉のことを指す。海の潮風を受けた牧草をタップリ食べる羊は独特の風味を持ち、肉も柔らかい。地域限定の幻のラム肉である。プレ・サレはなんとしても食べたかった。ツアーだから料理はお仕着せだが、もし出なかったら別注文しようとまで決心していた。はたせるかな、モンサンミッシェルのランチにお出ましと相成った。通常はローストで供されるが、ソテーで出てきたのと、ツアーの料理だからたいしたことはないと思い込んでいたが、食してみるととても柔らかく、羊特有の臭みもほとんど感じられない。大変美味であった。

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四日目はロワール川の古城めぐり。これも定番観光です。「6人の女の城」として優美な姿で有名なシュノンソー城でランチをとった。特産の川魚カワカマスも美味だったが、デザートのケーキにはビックリ。いったいなにが始まるのかと驚いた。ツアーでここまでやるのは、エライ!デザートを切り分けると甘いアイスクリームケーキだった。

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フランスはチーズ王国としても知られているが、ロワール地方ではシェーブルという山羊乳のチーズが有名(写真右上)。写真は当日宿泊した古城ホテルのディナーで出されたものだが、サント・モールという地名ヲ冠したシェーブル。円筒形で表面に灰が付着していて、真ん中に藁が一本通してある。美味しかったので、帰りの空港で買ってきた。

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最後に、日本ではまずお目にかからない、イチゴ味のヴォルヴィック。チャントいちご果汁が入っていますよ。

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2009年8月14日 (金)

面白写真集vol.1

夏休みフランス旅行第三弾。として、面白い写真をピックアップしてみた。

ヨーロッパ、特にフランスは日本食ブーム。フランス到着日のホテル、ドゴール空港近くのロワシィーという小さな町にも日本食レストランがあった。OISHIIという店名と赤提灯が笑える(以下写真は全てクリックするとポップアップします)。

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ヴェルサイユのレストラン街にも寿司ショップが・・・・・・ルイ14世もびっくりだろう。

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ゴッホ終焉の地、オヴェール・シュル・オワーズ村内、ゴッホ公園にあるゴッホの像。ロシア出身で後にフランスを代表する彫刻家となったオシップ・ザッキン作の「野山を歩くファン・ゴッホ」像である。どうやってもゴッホには見えないが、デフォルメされたゴッホの姿には、最晩年の孤独な天才ゴッホの雰囲気が余すところなく表現されているようだ。ちなみに、この像は我らが丸の内仲通りにもある(orあった)らしい(右側写真)。驚きである。

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2日目のルーアンの旧市街。ローマ時代からの歴史を持つ古都で、木骨組のなんともいえない風情のある町並みが続く。上層に行くほど壁がせり出している家が面白い。

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同じくルーアン。ジャンヌダルクが火刑に処された場所に建てられたジャンヌダルク教会。1979年建立と新しく、斬新な海をイメージしたデザイン。彼女は異端を理由に火あぶりとなったが、カトリックでは近世1920年にようやく聖人に列せられた。教会内部に入ると、素晴らしく美しいステンドクラスが我々を包み込む。このステンドグラスは16世紀のもので、サン・ヴァンサン教会から移築したものらしい。

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ジャンヌダルク教会がある旧市街広場には食材のお店が軒を並べている。肉屋にはウサギの肉が。日本ではなかなかお目にかかれない。桃も扁平なものが売られていた。

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チョコレート(ショコラ)屋さんのショウウインドウ。日本の盆栽もブームらしい。印象派から時代は変われどフランスはジャポニスム。

続く

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2009年8月11日 (火)

私達の貴婦人

夏休み旅行の第二弾である。時系列でダラダラ書いても面白くないので、前回の「フランス印象派の旅」と同じようにテーマで横串を刺してみたい。実は、昨年のイギリス旅行もそう考えたのだが時間がとれずに途中で放棄した。

今回のテーマは「私たちの貴婦人」。フランス語でいうところの「ノートルダム」(Notre-Dame)の日本語訳である。ノートルダム寺院あるいはノートルダム大聖堂というと、パリのセーヌ河岸にある有名な教会を思い浮かべる人も多いだろう。たしかにあれはノートルダム大聖堂である。しかし、実はフランスにはたくさんノートルダム教会が存在するのである。今回観光ツアーでもルーアン、シャルトル、パリと三つのノートルダムを観た。

ルーアン(写真をクリックしてください)

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上記したように、ノートルダム=我々の貴婦人なのだが、ただの貴婦人ではない。聖母マリアのことを指す。だから、ノートルダム教会とは、聖母マリアに捧げる、日本流にいうと聖母マリアを祭った教会という意味なのである。ノートルダム教会が沢山あるということは、フランスやベルギーなどのフランス語圏で、マリア信仰がいかに盛んであったかを示すものといえよう。

パリ(写真をクリックしてください)

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キリスト教(カトリック)は本来一神教、つまり神であるイエズス・キリストを唯一神とする宗教であるが、なぜこのようにマリアを讃えるノートルダム教会が沢山建てられたのか?

勿論、キリストの母親であるから、神聖なものには違いない。しかし、それ以上にキリスト教が西ヨーロッパ各地に勢力を拡大してゆく時期に、地場土着の神様(女神)との習合の結果マリア信仰が生まれたという見方がある。土着の女神=マリアは先住民の心に深く刻み込まれた心の故郷であり、キリスト教も宗教上の軋轢を避けるために、こうしたマリアの信仰を大切にしてきた経緯がある。

もう一つの見方に、マリアの「母性」を重んじる考え方がある。キリスト教の神は厳しく畏れられる神であり、父性的ともいえる。ところが、厳しさばかりでは信者の共感を得ることは難しく、父性の対極にある母性が求められてきた。つまり、慈しみ許しを与える神の側面である。人間の弱さを許したもう「母なる神」を求めて作られたのがノートルダム教会なのである。

シャルトル(写真をクリックしてください)

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今回訪れた3つのノートルダムのなかで、一番楽しみにしていたのは世界遺産のシャルトル大聖堂であった(パリの大聖堂は二回目の訪問)。パリ南西部の一面の麦畑をバスで走っていると、突然前方に尖塔が見えてくる。近づくにつれ尖塔がどんどん大きくなり期待が膨らむ。間近でみると、なんとも壮大で華麗な教会である。ルーアンやパリのノートルダムよりも一回り大きく威圧感さえある。しかし、内部に入ると一転して静謐の世界が広がる。有名なステンドグラスもため息が出るほど美しい。建造当時のステンドグラスが大部分残っていて文化的な意義も非常に高いのだ。特に蒼く幻想的な光を放つシャルトルブルーは感動的。代表作の「美しき絵ガラスの聖母」は、ノートルダムの本尊ともいうべきマリアを讃美し、みる者を天国に導くようだ。

写真をクリックしてください。

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2009年8月10日 (月)

フランス印象派の旅

今回の夏休み旅行は知的好奇心を満足させる旅でもあった。ツアー旅行を選定する場合、当然のことだが、気に入った観光地がどれだけ盛り込まれているかがポイントになる。単にツアーに受身で参加するのではなく、自分の見たいものが何かを予め求めておく(あるいは予習しておく)ことが大切だと思う。その点で、今回のツアーは私の好きな印象派の絵画に縁のある観光スポットが上手く取り揃えられていた。面白いことに、絵画が描かれた現地を訪ね、その絵画を後に美術館で鑑賞することが出来たのである。

パリに当日夕刻到着し、翌日はパリ北西近郊の「オヴェール・シュル・オワーズ」という小村に向う。ここはゴッホ終焉の地。ゴッホは晩年精神に異常を来たし、とうとう自ら銃弾を胸に打ち込んで果てた。この村にはわずか2ヶ月間しか滞在していないが、70点もの作品を残している。なかでも有名な「オヴェールの教会」(ノートルダム教会)を見学。旅行終盤の自由時間を使って、パリのオルセー美術館でこの絵を観た。実物の教会は修復中で外観しか見られなかったが、絵のほうは深い紺青の空が印象的で、とても自殺を図るような精神状態とは思えないくらい美しい。この村ではゴッホと弟のテオが並んで埋葬されている墓地も見学できた。

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同日、次にモネのジヴェルニーの庭園へ向う。モネファンの私としては、ここはどうしても行きたかったところ。オヴェールからバスで1時間ほどの場所である。モネは50歳当時ここジヴェルニーに土地を買い、セーヌ河から水を引いて池を作り、あの「睡蓮」を植えた。モネが憧れた日本式庭園である。また、アトリエに接した庭には四季に咲き乱れる花々を栽培し、なんとも夢のようなモネの世界を作りあげたのだ。睡蓮の池の風景は息を呑むほど美しい。池の水面と風にそよぐ木々、とくに優美な柳の姿に暫し見とれていた。やっとここ、憧れのこの場所に来れたのだと感慨に浸った。モネのアトリエ(撮影禁止)は日本の浮世絵が所狭しと飾られている。印象派の画家達を風靡した「ジャポニスム」である。日本とフランス、印象派の遠くて近い緊密な関係を実感した。

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この風景を絵にしたのが、パリのオランジュリー美術館。ツアー最終日の自由時間に訪ねた。大昔パリに来た時に改修で閉館していて、地団駄を踏んだ思い出のある美術館。楕円形の二つの大広間の壁一面にモネの「睡蓮」が展示されている。大広間の中に居ると、あたかもモネの庭に佇んでいるような錯覚にとらわれる。まさに、癒しの空間。そして、二つの大広間が無限大=∞の記号のように接していて、時空を超えた感覚に襲われた。いつまでもその中に居続けたい空間、稀有な世界である。

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三日目にはルーアン観光。ルーアンはジャンヌダルクが火刑に処されたことで広く知られているが、ここルーアンが入っているツアーは数少ない。実は、ここのルーアン大聖堂もモネの連作で有名なところなのである。大聖堂の佇まいは壮麗そのもの。何世紀にも亘って手を加えられてきた大聖堂だが、様々な様式を超越して屹立している。内部のステンドグラスも美しい。モネは大聖堂の前にある建物(当時は下着ショップ、現在は観光案内所)の二階に陣取って、30点を超える作品を生み出した。興味深いのは、ほとんど同じ構図なのだが、時間の経過につれて見える大聖堂の有様を微妙な光のタッチで描き分けていること。

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このうちの数点をオルセー美術館で見ることができた。実物の大聖堂との対比をしてもあまり意味はないだろう。モネが描きたかったのは、大聖堂という建物ではなく、刻々と移り変わる大聖堂が反射する光そのものを絵に描きとめたかったに違いない。オルセーにある大聖堂の連作をまじまじと見て、印象派の本質が光の在り様であることについて、改めて思い知ったのである。

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2009年8月 7日 (金)

打ち水コンサート

夏休み旅行から帰ってきました。年に一度は海外に家族旅行するのが我が家の恒例行事。家内とフランスへ行ってきました。某旅行会社のツアーです。

訪問地は、パリ→ゴッホの終焉の地「オーベル・シュル・オワーズ」→モネの庭園のある「ジヴェルニー」→これまたモネと縁の深い「ルーアン」→フランスの江ノ島(笑)「モン・サン・ミッシェル」→優美なロワール地方の古城→大聖堂で有名な「シャルトル」→パリといった具合。盛り沢山な北フランス周遊です。

パリには一度立ち寄ったことはありましたが、北フランスの本格的な観光は初めてです。モンサンミッシェエルで豪雨に見舞われたほかは、天候もまずまずで知的好奇心も十分に満たされた楽しい旅行でした。この話は何回かに分けてお話しましょう。

そんなこんなで、今夜の丸の内合唱団の「打ち水コンサート」に参加することが出来ませんでした。残念。帰国は昨日でしたが、練習に全く参加できなかったことと時差ボケでかなりしんどい状態だったからです。でも、仲間たちの演奏を聴く事ができてよい経験でした。

「打ち水コンサート」は生憎の豪雨で開催が危ぶまれたようでしたが、予定時間には雨も小降りになり、演奏場所がビルの庇の下でしたので濡れなかったみたい。ビヤガーデンのお客さんもそこそこ来ていて、なかなかの盛り上がりでした。雨のせいで会場側ではなくビルに向っての合唱で、音響的には仕方のない部分もありましたが、それでも浴衣姿で楽しく歌っていたのが印象的でした。スポンサーの三菱地所の方も聴きにこられなによりでした。

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2009年7月29日 (水)

このくらいの暑さなら・・・・人間ウォシュレット

明日から夏休み。恒例の家族旅行で海外に行ってきます。しばらくブログはお休みです。

会社の人と話していたら、インド出張の様子を聞きたがっていた。そういえばインドの話はこのブログではまだ触れていない・・・・多忙でずっと触れないかもしれないので、今回は意を決してサワリをご紹介しよう。

インドはこれまで訪問したどの国より驚くことが多かった。思いつくままあげてみる。

①なんといっても暑い。最高気温が45℃前後。体温より暑く、血液が沸騰してしまいそう。出張した6月が一番暑い季節なのだという。なんでそんな時期に出張したか・・・・7月に入ると雨季になりモンスーンがやってくる。移動に支障をきたすと言われたからだ。特に、デリー(北部)は酷暑。ムンバイ(西部)は気温は40℃を切るが、海洋性のためものすごく蒸し暑い。現地の人は帽子や日傘を使わないのだから、身体の構造が違うのだろう。インドに比べれば、日本の夏の暑さなんて涼しいもの・・・・いやいや、比較論だが暑いものは暑い(笑)。

②水が飲めない。暑いと喉が渇くし、熱中症予防のためにも水分をこまめに補給しなければならない。このとき、ミネラルウォーター以外飲んではいけない。水道の水もダメ。日本にはない病原菌?がウヨウヨだから、水を飲んだら一発でお腹を壊すらしい。「らしい」というのは、水に気をつけていたので、幸い下痢にはならなかったからだ。歯磨きやうがいもミネラルウォーターでする。シャワーでも水を口に含まないようにする・・・・などなど。面白かったのはホテルのプール。出張なのでそれなりの立派なホテルに宿泊するのだが、いずれにも素晴らしく美しいプールがあった。ところが、誰も泳いでいない。一週間の出張中、人っ子一人泳いでいるのを見かけなかったのである。口や眼から水が入ると病気になるからだろう。

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③カレーの毎日。現地の人は朝からカレーを食べる。我々が泊まったホテルでも、洋食ブッフェが主体だが、ちゃんとカレーを取り揃えている。インドではヒンドゥー教はビーフ、イスラム教はブタが禁忌なので、肉といえばチキンかマトンのカレーしかない。その代わり野菜や豆のカレーが数多くあって、これが滋味深く旨いのだ。

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④日本人がいない。都会の街中でも日本人をほとんど見かけないのだ。ビジネスマンの数も少ないが、観光客はほとんど見かけない。休日にインドのデリー駅から「新幹線」に乗ったのだが、駅の喧騒がとても印象に残った。物乞いの人から、ホームに布を敷いてごろ寝している人・・・・いやー、戦後の日本もこんなだったのだろう。

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⑤衛生の問題。水のほかにもう一つ衛生の話をしよう。ホテルは例外として、インドのトイレにはペーパーがない。では、どうやって用を足しているかというと。カップに水を汲み、左手で洗い流すのである。まあ、「人手ウォシュレット」と表現したらわかってもらえるだろうか。インドでは左手は不浄の手であるから、尻をぬぐってもおかしくない。さらに驚いたのは、デリーからアグラ(タージマハル)に行く早朝の新幹線の車窓から見える光景。郊外には集落が点在しているが、家々から人がそろりそろりと線路際の草むらに出て来て、電車に向って「しゃがんでいる」のだ。そう、朝の用を足しているのである。家にトイレがない・・・・・ところも多いようだ。

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誤解しないでほしいが、インドの人々を卑下しているわけではない。日本でも一つか二つ前の世代の頃は、田舎に行けばこうした光景が見られたに違いない。インドの新幹線でもトイレにはタンクがなく、線路に落としっぱなし。日本だって私の子供の頃はそうだった。そうした意味では、インドは郷愁を誘う国といってもよさそうである。

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2009年7月 4日 (土)

食の細道

芭蕉を訪ねる山形・仙台旅行は、うまいもの旅行でもあった。各地の名物を口にするのも「口福」なのである。題して「奥」ならぬ「食の細道」。

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月山の麓の山菜料理「出羽屋」。http://www.dewaya.com/main.html

ここの山菜尽くし=ふるまい料理は圧巻。10数種の山菜が食卓に繰り広げる饗宴は素晴らしい。どれも素材の味を生かした薄味で、微妙な滋味を食べ比べる楽しみがある。女将によれば、山菜は地元住民が普段口にしているものなので、先代の創業者が料理屋を始めたとき、「頭がおかしくなったのでは」と噂されたそうである。それが、時代が変わりいまや山菜は貴重品。我々のように遠く首都圏からこれを目当てに旅行者が訪れるようになった。まさに先見の明があるというべきか。

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寒河江は「さくらんぼ」の名所。チェリーランドという土産物屋では、「さくらんぼカレー」なるものを売っていた。どんな味なのだろう?さくらんぼアイスも美味であった(写真はさくらんぼとお米のアイス)。

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昼の山菜料理でノックアウトされたので旅館での夕食をキャンセルし、天童の蕎麦屋=「水車」に行く。連れは山形そば。山形そばも様々だが、概して太くコシのある田舎そばが主流。東京の更科や藪を食べなれている舌には、ちょっと苦しいかも。しかし、100%そば粉手打ちの田舎蕎麦は、豪快でたいへん満足感がある。私はこの店が発祥?といわれる鳥中華。もともと蕎麦屋のまかない食だったらしいが、あまりの美味しさに看板メニューになった。この店は地元の客が多いようだが、二人に1人はこの鳥中華を注文していた。おそらく、そばつゆがベースになっていると思うが、甘みがかったスープがとても旨い。

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翌日の松島では鮨を食した。桶ちらしが有名なようで、カウンターの隣では若い女性3人組みが苦闘していた。我々はフツーの鮨を食す。観光地価格なのか、ちょっと高め。

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夕食は仙台駅に隣接したファッションビルの地下のレストラン街で長男と。伊勢屋というステーキが主体のお店だが、私は折角だから仙台名物牛タン定食。編み焼き、コロッケ、シチューなど牛タンをつかった料理に舌鼓を打った。別注文のガザウニのとろりとして旨かったこと。

番外編として「ずんだシェイク」。暑さでいささか疲れた体には甘いものがピッタリ。

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