2010年7月 4日 (日)

二度とない経験

中国出張での、二度とない経験・・・・・いや、二度とあっては困ります。本当に大変でした。

約1週間の中国出張は、北京→石家庄(河北省の首都)→邯鄲市→上海→昆山→上海というスケジュールだった。メインは河北省ならびに邯鄲市と私の会社との、地元「工業団地」に関わる調印式で、現地見学を含めて丸二日を要した。写真は北京発の新幹線もどき=D列車といって線路は在来線を走る特急列車である。本当の新幹線は現在工事中。

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中国人とのお付き合いなので、ビジネスは勿論のこと、その後の懇親会なども非常に中身が「濃い」。二日間の親密なお付き合いを終えて、夜の8時に邯鄲空港から上海に飛行機で飛び立とうとしたら・・・・・・飛ばないのである。

この日は、夕方から天候が不順で、中国華北地域一帯に雷雲が発生し、どの空港でも飛行を見合わせているとの事。さて、困った。邯鄲空港へは上海から飛んできた飛行機が折り返すことになっているが、上海からの便が隣の石家庄に降り立ってしまい、そこから邯鄲まで飛行しないと我々は上海に行けない。しかも、飛行機は一日に一便しかないのである。

ところが、さすが共産党独裁政権の中国。同行した邯鄲副市長さんが電話を掛けまくって、石家庄から邯鄲まで飛行機を飛ばしたのである。聞くところによると、我々=重要な賓客がいるので、絶対に邯鄲に来てくれと凄んだらしい。

さて、ようやく飛行機に搭乗したのだが、うんともすんとも動かない。そのうえ、機内放送もないのである。乗客もイライラしてくる。1時間も機内にいただろうか、突然、すぐ後ろの席で大きな物音がしたと思ったら、乗客が発作を起こし横転している・・・・・・酸素ボンベで救急措置がされ、救急車で運び出された。写真はなかなか飛ばない飛行機。

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副市長から電話がかかってきて、まだ出発に時間がかかりそうだから、空港のVIPルームに戻りなさいとの指示。救われた気持で飛行機を脱出した。このとき既に時計の針は12時をまわり翌日になっていた。待合室で副市長をはじめ邯鄲市関係者と雑談をし気を紛らわせる。市政府関係者にはお帰りいただきたかったのだが、頑としてその場を離れないのである。まことに、丁寧というか、ホスピタリティーというか、賓客にはとことん尽くす中国人の姿勢にいたく感動した。

しばらくたって、私の疲れを心配して、空港長の執務室を空けてくれ、執務室の長椅子で横になることに。こんな経験は二度とないだろう。出張前からぎっくり腰・・・・腰を痛めていたので、大変助かった。この分だと、このフライトは無理かなと半ばあきらめ、ウトウトとしていたところに空港長に声をかけられ、出発のオーケーが出たと。

再び飛行機に乗り込んで出発したのが、午前2時半。なんと6時間以上も待たされていたことになる。上海空港到着が午前4時。ホテルチェックインが午前5時。夜も白々と明け始めた頃であった。

およそ2時間ほど仮眠を取って、翌朝は昆山にある当社投資先の工場見学へ。外気温39度・・・・・・体温よりも高く、非常に湿度の多い状態で、極度のバテバテの状態であった。自分でも腰痛・胃痛をかかえよく頑張ったと思う。

中国出張の話は続きます。

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2009年12月 6日 (日)

瀧井敬子 先生のこと

このところ、瀧井敬子 先生の追っかけをやっている。

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瀧井敬子先生とは、今年の「藝大アーツin東京丸の内」でお世話になった、東京藝術大学の教授である。丸の内合唱団が参加したこのイベントについては、感激を持ってこのブログに書いたが、イベントの総合プロデューサーを務められたのが瀧井先生である。また、我らがマルガツに藝大との共演という白羽の矢を当てていただいた張本人である。

瀧井さんについては、このブログでも何回か登場いただいたが、藝大というともすると閉鎖的になりがちな象牙の塔にあって、既成概念にとらわれない素晴らしいイベントを次々と成功させているとてもユニークな先生である。その活動はエネルギッシュで、人の何倍も働いてこそはじめて事がなる・・・・といった誠心誠意を信条としておられる、まことに頭が下がる方なのだ。私などは、先生のパワーと実行力にすっかり圧倒され、瀧井門下生?として教えを請うている。

冒頭に「追っかけ」と書いたのは、先週の日曜日と今週の日曜日立て続けに瀧井さんの講演に出かけたからである。この歳で「追っかけ」もないだろうが、ご迷惑であったらお許しいただきたい。

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さて、先週は藝大奏楽堂にて「メンデルスゾーン姉弟の歌曲の魅力」と題した企画もの。バイオリン協奏曲や交響曲「イタリア」などで有名なフェーリクス・メンデルスゾーン。実は姉のファニーも音楽の才能にすぐれ、歌曲を中心に素晴らしい作品を作曲していた。メンデルスゾーン家は裕福な資産家(銀行家)であったが、当時は女性が作曲家になるなど許されなかったため、ファニーはフェーリクスの名前を借りて作品を発表していたものもあるらしい。ファニーが嫁いだ画家のヘンゼルが理解のある夫で、ファニーは次々と作品を発表し女性作曲家のパイオニアに位置づけられている。そうした、姉弟の歌曲作品を並べて聞くという楽しみがあった。

もう一つの楽しみは、フィーリクスは水彩画を趣味としていて、その作品は芸術的鑑賞に堪えられるものであったこと(つまり玄人はだし)。この演奏会では、彼の水彩画がプロジェクターで背景に映し出されてとても美しいものであった。瀧井さんと国立西洋美術館の佐藤直樹先生とのトークも織り込まれ、知的好奇心を大変そそられた。まさに、宮田芸大学長も言っておられた、音楽と美術の融合、コラボレーションであり、瀧井さんならではの企画であった。出演者も多田羅さん、永井さんをはじめ藝大教授陣を挙げての豪華なもの。晩秋のひと時を豊かにすごすことができた。

本日の瀧井さんの講演というのは、「鎌倉漱石の会」でのレクチャー。瀧井さんとのメールのやり取りのなかでこのレクチャーを知り、私が鎌倉在住であることもあって、瀧井さんに頼んで参加させてもらった。鎌倉漱石の会は夏目漱石のファンが自主運営している会で、本拠を北鎌倉円覚寺の塔頭「帰源院」に置く。これは、漱石が若い頃参禅し逗留していたことによるものである。会のメンバーは全国から300人も在籍しているようで、開催も今回が95回目。いかに漱石のファンが多いかが分かろうというもの。お弁当とお饅頭、甘酒つきというのも嬉しい。

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12月9日が漱石の命日であることから、まず住職による読経から開始。円覚寺は臨済宗だが、このお経が面白い。臨済宗は法要の途中で坊主が「喝!」と怒鳴ることで知られているが(以前このブログでも書いたような気がする)、本日は「喝」はなかったものの、臨済宗特有の「もりもり、もきもき・・・・」といった笑のとれるお経なのである。

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さて、そのあとお待ちかねの瀧井先生の講義。題名は「『野分』に登場するバイオリニスト「冬田」のモデル」。先生は著書「漱石が聴いたベートーヴェン」など、日本の西洋音楽導入期の事情に大変お詳しい。漱石の著書「野分」に登場する女性バイオリニストは誰か・・・・というちょっとミステリーめいた題材であった。野分に登場する音楽会のプログラムを見れば、演奏者は特定できるのだが、ずばりその人は「幸田延」。芸大の前身である東京音楽学校の教授というか、わが国最初の音楽留学生であり、かの明治の文豪幸田露伴の妹に当たる。

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瀧井さんは、幸田延を軸に、露伴、鷗外、漱石などの文豪や滝廉太郎や寺田寅彦(漱石の友人)を絡ませ、明治期の音楽の潮流を大変楽しく、面白くレクチャーしてくださった。特に興味深かったのは、素晴らしい音楽的才能を発揮し、留学そして藝大の教授に上り詰めた幸田延が、女性であるがゆえにその職を追われ晩年は不遇であった・・・・というくだり。もっとも彼女は「上野の西太后」と揶揄されるほどの権勢を振るったとの見方もあるようだが、時代や洋の東西を異にするものの先に述べたファニー・メンデルスゾーンと一脈通じるものがあるのが不思議であった。

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面白い話をもう一つ。昨日、このレクチャーに備えて、ちょっと予習をした。以前録画しただけで観ていなかったNHKハイビジョン番組「幸田家の人々」(2005年放映)があるのを思い出し、取り出して再生したのである。この番組は、一言でいうと幸田露伴、文、玉、奈緒と続く幸田家のDNAがテーマなのだが、その中に音楽家の幸田延が登場する場面がある。幸田家末裔の奈緒が藝大を訪ねるシーンなのだが、そこになんと瀧井先生が出てこられたのだ。予期せぬことに本当にビックリした。まさに面白いほどの偶然である。私の得意の「シンクロニシティ」か・・・・と友人に話したら、友人はそういうのは「セレンディピティ」というのだと教えてくれた。serendipity・・・・辞書によれば、掘り出し物を偶然見つける能力、予期することなく大きな発見をする能力のことをいう。セレンディピティ・・・・・なんて素敵な言葉なんだろう。私にもその能力があるのだろうか?教えてくれた友人に感謝。

円覚寺は紅葉もなかなか綺麗で、境内は人でごった返していたが、ここ帰源院は全国から集まった漱石ファンで優雅な知的雰囲気が漂っていた。

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2009年8月25日 (火)

二つのパッション

今夜は業界団体の懇親会があった。私が仕事をしている業界は、100年に一度という大不況。どん底、いや底が割れている状態にある。そうしたなかでも、前向きに仕事をしてゆきたい気持に変わりはない。

参加者のスピーチが面白かった。その方は、厳しい時期だからこそ、パッション=Passion=情熱をもって仕事に取り組みたいという話をされたが、Passionにはもう一つの意味がある。それは「受難」だ・・・・・というのである。今は「受難」の局面だからこそ、「情熱」が大切・・・・なかなか洒落たスピーチであった。

確かに、受難曲はPassionと表記される。バッハの「マタイ・パッション」などと。私はすぐに、どうして一つの言葉が「受難」と「情熱」という正反対な意味なのかと尋ねたが満足な答えは返ってこなかった。

帰宅して、ネットで色々調べてみたところ、およそ次のような経緯のようだ。もともとPassionは中世以降の教会用語で、キリストの「受難」の意味から始まったようだ。ところが16世紀になると「情熱」の意味が出てくる。Passionには元来「動かされる」といった受動的な意味がある(だから受難曲。Passiveと同じ)。そして、「感情」は受動的な心的現象と捉えられていたというのだ。つまり、理性・意志は能動、感情・感覚は受動という概念である。Passionも14世紀ごろまでには「感情」一般をあらわしていたようなのですが、それがいつの間にか激しい感情=情熱をあらわすようになったらしいのです。

ちょっと難しい話ですが、お分かりいただけたでしょうか。上記スピーチの後に挨拶に立った私は、苦し紛れに「受難」は甘んじて受けるが「レクイエム」にならないようにと口走った。自分でも出来の悪いジョークだと思ったが・・・・。

ついでにいうと、果物のパッションフルーツのパッションは「情熱」の意味ではなく、「受難」のほうだという。花の形が、十字架にかけられたキリストの姿=受難に似ているからだという。詳しく言うと、花のめしべが張り付けの十字架に、5本の雄蘂が打たれた釘に、花を取り巻く副花冠がイバラの冠に、10枚の花弁及び萼が一人消えた師弟に例えられとのこと。なるほどなあ。

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2009年8月23日 (日)

面白写真集vol.3

旅行面白写真の続きです。

シャルトル大聖堂にあった聖母マリアの「聖衣」。サンクタ・カシミアと呼ばれ、マリアがイエスを産むときに着ていたチュニックだという。カトリックの世界で言うところの「聖遺物」である。世界中には聖遺物がごまんと存在するが、当然のこととしてその真偽は疑わしい・・・・・いや、はっきり言ってニセモノである。

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例えば、広く知られる聖槍(せいそう)、聖杯、聖骸布などなど。聖槍は十字架上のイエスを刺した槍のことで、イエスの血に触れたものとしてあがめられている。これを手中に収めた者は天下を取るとの伝説から、ヒトラーが気に入っていたことは有名。また、聖杯はイエスが最後の晩餐で「これは私の血である」といって弟子達とワインを飲んだ盃。のちに、数々の聖杯伝説を生むことになる。また、聖骸布はイエスが磔刑に処された後に遺体を包んだ布のこと。イタリアのトリノ大聖堂の聖骸布が有名(写真)。

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一番我々に身近なのは、映画インディージョーンズ。一作目が「失われたアーク(モーゼの十戒を収めた容器)」、三作目「最後の聖戦」ではまさに聖杯が採り上げられている。

次は、ルーアン旧市街のチョコレート屋さんのショウウインドウ。盆栽風のデコレーションで、盆栽はフランスでもブームのようだ。

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ルーアン大聖堂にて。主祭壇の周りにはキリストの一生(あるいは受難など)をテーマにした彫刻が並んでいることが多い。たまたま目にした面白い表現。最初の写真は幼児期リストの「割礼」の場面。ユダヤ教の儀式ではあるが、嫌がっている(痛がっている)?のはほほえましい。次の写真は、キリスト昇天。天に昇る様を、キリストの足元だけを描くことで示している。これには笑ってしまった。

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ルーブルに展示されていた彫刻。背中は天使の手か?詳しくはわからないが、これもなんともほほえましい。

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ルーブル美術館。ブラチェスコの受胎告知。我々がよく知っている受胎告知の絵は、フラ・アンジェリコやダヴィンチの静謐かつ劇的な場面。ところが、このブラチェスコのものは、大天使ガブリエルから告知されてよろめいているようだ。というか、これは迷惑そうな表情にも見える。軽いノリというか、吉本の漫才を見ているようだ。

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これもルーブル。ドラローシュの「アルプスを越えるナポレオン」。ロバに乗ったなんとも弱弱しい姿。同じテーマを扱った、ナポレオンのお抱え画家ダヴィッドの作品が有名だが、実際はドラローシュの絵のようだったのだろう。

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2009年8月16日 (日)

面白写真集vol.2・・・食いしん坊編

フランス旅行第四弾。今回は食べ物を中心とした話題にしよう。

フランスはワインの国だが、北部ノルマンジー地区はブドウノ栽培に適さない。そこで、ワインに代わってりんごのお酒、シードルが飲まれている。ルーアンでも、モンサンミッシェルでもそうだった。アルコール度数は3度くらいだから、お酒が飲めない私には丁度よい。面白いのは、グラスではなく、コーヒーカップのような陶器で飲むこと。フランスでは酒の部類に入らないのかもしれない(以下の写真は全てクリックするとポップアップします)。

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フランス一、いや世界一の観光地「モンサンミッシェル」はノルマンディーとブルターニュの境目にある。ここでの名物料理は二つ。一つは有名な「巨大オムレツ」。オムレツというより、シフォンケーキのような味わいだ。昔、島に渡ってくる巡礼者のためにボリュームのある食事を・・・・とマダム・プーラールが考案したものらしい。名人技により凄く泡立てられた卵をふわっと焼いてくれる。淡白で甘くなのでペロッと平らげた。

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もうひとつの名物が「プレ・サレ」。正確には、モンサンミッシェル周辺のプレサレ=低湿地帯で育てた子羊の肉のことを指す。海の潮風を受けた牧草をタップリ食べる羊は独特の風味を持ち、肉も柔らかい。地域限定の幻のラム肉である。プレ・サレはなんとしても食べたかった。ツアーだから料理はお仕着せだが、もし出なかったら別注文しようとまで決心していた。はたせるかな、モンサンミッシェルのランチにお出ましと相成った。通常はローストで供されるが、ソテーで出てきたのと、ツアーの料理だからたいしたことはないと思い込んでいたが、食してみるととても柔らかく、羊特有の臭みもほとんど感じられない。大変美味であった。

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四日目はロワール川の古城めぐり。これも定番観光です。「6人の女の城」として優美な姿で有名なシュノンソー城でランチをとった。特産の川魚カワカマスも美味だったが、デザートのケーキにはビックリ。いったいなにが始まるのかと驚いた。ツアーでここまでやるのは、エライ!デザートを切り分けると甘いアイスクリームケーキだった。

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フランスはチーズ王国としても知られているが、ロワール地方ではシェーブルという山羊乳のチーズが有名(写真右上)。写真は当日宿泊した古城ホテルのディナーで出されたものだが、サント・モールという地名ヲ冠したシェーブル。円筒形で表面に灰が付着していて、真ん中に藁が一本通してある。美味しかったので、帰りの空港で買ってきた。

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最後に、日本ではまずお目にかからない、イチゴ味のヴォルヴィック。チャントいちご果汁が入っていますよ。

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2009年8月14日 (金)

面白写真集vol.1

夏休みフランス旅行第三弾。として、面白い写真をピックアップしてみた。

ヨーロッパ、特にフランスは日本食ブーム。フランス到着日のホテル、ドゴール空港近くのロワシィーという小さな町にも日本食レストランがあった。OISHIIという店名と赤提灯が笑える(以下写真は全てクリックするとポップアップします)。

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ヴェルサイユのレストラン街にも寿司ショップが・・・・・・ルイ14世もびっくりだろう。

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ゴッホ終焉の地、オヴェール・シュル・オワーズ村内、ゴッホ公園にあるゴッホの像。ロシア出身で後にフランスを代表する彫刻家となったオシップ・ザッキン作の「野山を歩くファン・ゴッホ」像である。どうやってもゴッホには見えないが、デフォルメされたゴッホの姿には、最晩年の孤独な天才ゴッホの雰囲気が余すところなく表現されているようだ。ちなみに、この像は我らが丸の内仲通りにもある(orあった)らしい(右側写真)。驚きである。

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2日目のルーアンの旧市街。ローマ時代からの歴史を持つ古都で、木骨組のなんともいえない風情のある町並みが続く。上層に行くほど壁がせり出している家が面白い。

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同じくルーアン。ジャンヌダルクが火刑に処された場所に建てられたジャンヌダルク教会。1979年建立と新しく、斬新な海をイメージしたデザイン。彼女は異端を理由に火あぶりとなったが、カトリックでは近世1920年にようやく聖人に列せられた。教会内部に入ると、素晴らしく美しいステンドクラスが我々を包み込む。このステンドグラスは16世紀のもので、サン・ヴァンサン教会から移築したものらしい。

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ジャンヌダルク教会がある旧市街広場には食材のお店が軒を並べている。肉屋にはウサギの肉が。日本ではなかなかお目にかかれない。桃も扁平なものが売られていた。

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チョコレート(ショコラ)屋さんのショウウインドウ。日本の盆栽もブームらしい。印象派から時代は変われどフランスはジャポニスム。

続く

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2009年8月11日 (火)

私達の貴婦人

夏休み旅行の第二弾である。時系列でダラダラ書いても面白くないので、前回の「フランス印象派の旅」と同じようにテーマで横串を刺してみたい。実は、昨年のイギリス旅行もそう考えたのだが時間がとれずに途中で放棄した。

今回のテーマは「私たちの貴婦人」。フランス語でいうところの「ノートルダム」(Notre-Dame)の日本語訳である。ノートルダム寺院あるいはノートルダム大聖堂というと、パリのセーヌ河岸にある有名な教会を思い浮かべる人も多いだろう。たしかにあれはノートルダム大聖堂である。しかし、実はフランスにはたくさんノートルダム教会が存在するのである。今回観光ツアーでもルーアン、シャルトル、パリと三つのノートルダムを観た。

ルーアン(写真をクリックしてください)

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上記したように、ノートルダム=我々の貴婦人なのだが、ただの貴婦人ではない。聖母マリアのことを指す。だから、ノートルダム教会とは、聖母マリアに捧げる、日本流にいうと聖母マリアを祭った教会という意味なのである。ノートルダム教会が沢山あるということは、フランスやベルギーなどのフランス語圏で、マリア信仰がいかに盛んであったかを示すものといえよう。

パリ(写真をクリックしてください)

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キリスト教(カトリック)は本来一神教、つまり神であるイエズス・キリストを唯一神とする宗教であるが、なぜこのようにマリアを讃えるノートルダム教会が沢山建てられたのか?

勿論、キリストの母親であるから、神聖なものには違いない。しかし、それ以上にキリスト教が西ヨーロッパ各地に勢力を拡大してゆく時期に、地場土着の神様(女神)との習合の結果マリア信仰が生まれたという見方がある。土着の女神=マリアは先住民の心に深く刻み込まれた心の故郷であり、キリスト教も宗教上の軋轢を避けるために、こうしたマリアの信仰を大切にしてきた経緯がある。

もう一つの見方に、マリアの「母性」を重んじる考え方がある。キリスト教の神は厳しく畏れられる神であり、父性的ともいえる。ところが、厳しさばかりでは信者の共感を得ることは難しく、父性の対極にある母性が求められてきた。つまり、慈しみ許しを与える神の側面である。人間の弱さを許したもう「母なる神」を求めて作られたのがノートルダム教会なのである。

シャルトル(写真をクリックしてください)

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今回訪れた3つのノートルダムのなかで、一番楽しみにしていたのは世界遺産のシャルトル大聖堂であった(パリの大聖堂は二回目の訪問)。パリ南西部の一面の麦畑をバスで走っていると、突然前方に尖塔が見えてくる。近づくにつれ尖塔がどんどん大きくなり期待が膨らむ。間近でみると、なんとも壮大で華麗な教会である。ルーアンやパリのノートルダムよりも一回り大きく威圧感さえある。しかし、内部に入ると一転して静謐の世界が広がる。有名なステンドグラスもため息が出るほど美しい。建造当時のステンドグラスが大部分残っていて文化的な意義も非常に高いのだ。特に蒼く幻想的な光を放つシャルトルブルーは感動的。代表作の「美しき絵ガラスの聖母」は、ノートルダムの本尊ともいうべきマリアを讃美し、みる者を天国に導くようだ。

写真をクリックしてください。

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2009年8月10日 (月)

フランス印象派の旅

今回の夏休み旅行は知的好奇心を満足させる旅でもあった。ツアー旅行を選定する場合、当然のことだが、気に入った観光地がどれだけ盛り込まれているかがポイントになる。単にツアーに受身で参加するのではなく、自分の見たいものが何かを予め求めておく(あるいは予習しておく)ことが大切だと思う。その点で、今回のツアーは私の好きな印象派の絵画に縁のある観光スポットが上手く取り揃えられていた。面白いことに、絵画が描かれた現地を訪ね、その絵画を後に美術館で鑑賞することが出来たのである。

パリに当日夕刻到着し、翌日はパリ北西近郊の「オヴェール・シュル・オワーズ」という小村に向う。ここはゴッホ終焉の地。ゴッホは晩年精神に異常を来たし、とうとう自ら銃弾を胸に打ち込んで果てた。この村にはわずか2ヶ月間しか滞在していないが、70点もの作品を残している。なかでも有名な「オヴェールの教会」(ノートルダム教会)を見学。旅行終盤の自由時間を使って、パリのオルセー美術館でこの絵を観た。実物の教会は修復中で外観しか見られなかったが、絵のほうは深い紺青の空が印象的で、とても自殺を図るような精神状態とは思えないくらい美しい。この村ではゴッホと弟のテオが並んで埋葬されている墓地も見学できた。

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同日、次にモネのジヴェルニーの庭園へ向う。モネファンの私としては、ここはどうしても行きたかったところ。オヴェールからバスで1時間ほどの場所である。モネは50歳当時ここジヴェルニーに土地を買い、セーヌ河から水を引いて池を作り、あの「睡蓮」を植えた。モネが憧れた日本式庭園である。また、アトリエに接した庭には四季に咲き乱れる花々を栽培し、なんとも夢のようなモネの世界を作りあげたのだ。睡蓮の池の風景は息を呑むほど美しい。池の水面と風にそよぐ木々、とくに優美な柳の姿に暫し見とれていた。やっとここ、憧れのこの場所に来れたのだと感慨に浸った。モネのアトリエ(撮影禁止)は日本の浮世絵が所狭しと飾られている。印象派の画家達を風靡した「ジャポニスム」である。日本とフランス、印象派の遠くて近い緊密な関係を実感した。

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この風景を絵にしたのが、パリのオランジュリー美術館。ツアー最終日の自由時間に訪ねた。大昔パリに来た時に改修で閉館していて、地団駄を踏んだ思い出のある美術館。楕円形の二つの大広間の壁一面にモネの「睡蓮」が展示されている。大広間の中に居ると、あたかもモネの庭に佇んでいるような錯覚にとらわれる。まさに、癒しの空間。そして、二つの大広間が無限大=∞の記号のように接していて、時空を超えた感覚に襲われた。いつまでもその中に居続けたい空間、稀有な世界である。

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三日目にはルーアン観光。ルーアンはジャンヌダルクが火刑に処されたことで広く知られているが、ここルーアンが入っているツアーは数少ない。実は、ここのルーアン大聖堂もモネの連作で有名なところなのである。大聖堂の佇まいは壮麗そのもの。何世紀にも亘って手を加えられてきた大聖堂だが、様々な様式を超越して屹立している。内部のステンドグラスも美しい。モネは大聖堂の前にある建物(当時は下着ショップ、現在は観光案内所)の二階に陣取って、30点を超える作品を生み出した。興味深いのは、ほとんど同じ構図なのだが、時間の経過につれて見える大聖堂の有様を微妙な光のタッチで描き分けていること。

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このうちの数点をオルセー美術館で見ることができた。実物の大聖堂との対比をしてもあまり意味はないだろう。モネが描きたかったのは、大聖堂という建物ではなく、刻々と移り変わる大聖堂が反射する光そのものを絵に描きとめたかったに違いない。オルセーにある大聖堂の連作をまじまじと見て、印象派の本質が光の在り様であることについて、改めて思い知ったのである。

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2008年9月15日 (月)

喝!

私は葬式や法事に行くときは、宗派を聞くことにしている。なぜなら、坊主の読経の途中で肝を冷やさないためである。

日本仏教には様々な宗派があるが、唯一危険なのは臨済宗。そういえば、鎌倉のお寺は禅宗、しかも臨済宗が多く、昨日めぐったお寺もほとんどが臨済だった。この臨済宗、儀式の途中で坊主が「喝!(かーつ)」と怒鳴るのである。初めてのときは、飛び上がらんばかり驚いた。だいたいにおいて、お経は意味が分からないので眠くなる。その時も、葬式に列席してウトウトしていた時だった。突然の坊主の怒声に、まず体が反応し跳ね起きた。何事が起こったのか、一瞬分からなかったが、私の周りの参列者も同じだったらしく、上体がしゃんと飛び起きた。本当に大きな声で喝(かーつ)と発するのである。

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臨済宗では仏に「引導を渡す」つまり、死者に死んだ事実を確認させ現世への執着を捨てさせ、悟りの仏道へ導く際に、発する言葉が「喝!」なのである。「臨済の喝」といわれるように、臨済宗特有の表現のようです。

でも「喝」は、不謹慎かもしれませんが、坊主にとっても密やかな楽しみのような気がする。なにも、知らない人は十人中十人が驚いて飛び上がること請け合いである。坊主は祭壇に向って「やったやったと、舌を出している」に違いありません。そして、参列者は二回目からは私のように今か今かと「喝」を待ち受けているわけである。分かっていても驚くのだから、この効果は凄い。

皆さんも、是非一度「喝」の洗礼(洗礼はキリスト教ですが)を受けてみることをお勧めします。

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2008年7月31日 (木)

現代日本のダヴィンチ

安藤忠雄さんの講演を聴きました。彼こそ日本のダヴィンチです。

三菱地所さんからご案内いただき、SoulSwitch in Marunouchiのオープニングシンポジウムに行ってきました。場所は丸ビル7階の丸ビルホール。丸の内合唱団にもゆかりの深い場所。いつもは平土間ですが、今日は階段客席になっていてビックリ。こんな「芸当」もできるんですね。SoulSwitch とは発想の転換と言う意味で、イベントのテーマは「2050年のエコライフの想像×創造」、サブテーマが「2050年の日本・東京・丸の内、そして社会」というもの。

基調講演が安藤忠雄さんです。彼の講演を聴くのは二回目(最初は三菱広報委員会主催)ですが、めちゃくちゃ面白いです。深い内容の話なのですが、話術が巧みで、クスグリや面白いエピソード満載で飽きさせません。たいした人です。しかし、なんといっても壮大な構想力、幅広い実行力には驚くばかり。まさに、日本のダヴィンチです。印象に残った言葉が「環境は自分で造るもの」。丸の内流に言い換えれば「街は自分で造るもの」・・・・・ということになるでしょうか?ほかにも、「目標を持って生きている限り青春である」。日本の男性は65歳を過ぎてリタイヤするとただの人になってしまう。コミュニティがもてないので、引きこもりになってしまう。常に好奇心を持ち続けること。40歳台からトレーニングが必要・・・・などなど。でも、私なんかは、早く引退して趣味の世界に生きたいと常に思っていますがね・・・・・好奇心旺盛ですし(笑)。

その後がパネルディスカッションで、パネリストは野中ともよ養老孟司 (作家、解剖学者) 、野城智也 (東京大学生産技術研究所 副所長 教授 ) 、出井伸之 (ソニー元社長) 、アニリール・セルカン (東大大学院助教、宇宙飛行士候補)という豪華陣。そのなかで、街に「知識を持つ人をひきつけるだけの魅力がどれだけあるか」「知識識融合を生む出会いの連続性と集中性がどれだけあるか」というフレーズに惹かれました。丸の内って20年前までは、なんにもない街でした。まさに虚業(仕事)の街。魅力のない街だったのです。三菱地所が新しいビルを次々に作り、様々なお店を誘致し、そうしたなかで街の文化が生まれてくる・・・・・我々丸の内合唱団もその「街づくり」の一翼を担っていると自負しています。時間がなくて1時間弱しか聴けなかったのが残念でした。

さて、明日から夏休み。一週間ですが国外逃亡(笑)してきます。「威風堂々」の国に行ってきまーす。しばらくブログはお休みです。

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