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2013年4月 7日 (日)

東西の「隅田川」を観る

先日、「隅田川二題」と題する演奏会に出かけた。前からとても楽しみにしていた会である。二題とは、ベンジャミン・ブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」と舞踊 清元「隅田川」。二つとも能楽の「隅田川」を源流とする芸術作品である。このあと、筋書きに触れる時間もないので、能の隅田川については下記リンクを参照されたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%B7%9D_(%E8%83%BD)

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楽しみにしていた理由は二つある。一つは、合唱指導の浅井先生がこのオペラに出演されること。もう一つは、「カリュー・リヴァー」を前からとても観たかったからである。

私は、大学時代に能楽のクラブに入っていて、当時はよく能を観にいった。この「隅田川」は能の名作でよく採り上げられる人気曲である。数回は観た記憶もある。一方で、クラシック音楽も昔から好きだったので、ブリテンが能「隅田川」を基にしたオペラを作曲したことも知っていて一度は観てみたかった。カリュー・リヴァーはそれほど上演される事もないので今まで機会に恵まれなかったのである。

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能の隅田川を下敷きにしているとはいえ、カリュー・リヴァーは驚くほど能と近似している。地名こそイギリスとし、修道院長(浅井先生)などを登場させキリスト教の寓話に仕立て直しているが、話の本筋はほぼ能と一緒である。音楽の構成面でもオペラでは冒頭と最後に聖歌が歌われるくらいの違いしかないだろう。

ブリテンは来日時に、能の隅田川を2回も観て「これまでで最も素晴らしい演劇体験だ」と語ったといわれるが、まさにその感動をそのままオペラにしたようなものだ。能の隅田川は一言でいえば「哀傷」の能である。カリュー・リヴァーのテーマも同じ。哀傷を仏教を通じて観るか、キリスト教を通じて観るかの違いだけだろう。

伴奏音楽も興味深い。5パート、各パート1人の室内楽。もともとは指揮者を置かない(この日の公演では指揮者がいた)・・・・・となると、これも能囃子を模したと思われる。リズム感にも能の影響が聞き取れるが、冒頭はどう聴いても雅楽そのものだ。

カリュー・リヴァーの出演者は全て男声。主人公の狂女もテノールが歌う。これは、男性の演劇である能楽を下敷きにしているから当然ではあるが、ブリテンの性的嗜好(同性愛)が反映されていることもあるのだろう。ブリテンが能を絶賛したのも分かるような気がする。今回は日本語上演で、訳詞は指揮者の故 若杉弘であったのも不思議な縁である。

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目を引いたのは演出。二部の舞踊「隅田川」で主役を演じた花柳壽輔の演出・振付である(上記写真他はChoice!より)。壽輔もとことん能の本歌取りにこだわった様に感じた。振付はもちろん花柳流なのだが、まず舞台が能舞台のコピー。舞台上演用の能舞台を使っているのだろう。踊りと歌唱を分けたことにより、歌唱(ソリストとコーラス)は舞台の袖に下がって歌う。コーラスはまるで能の地謡そっくりだ。しかも、聖歌の衣装を脱いだら、下は黒羽二重に袴の礼装なのである。能では地謡は正座して謡うのだが、さすがにクラシック声楽家の先生達には無理で、椅子に座って歌っていた。

余談だが、和服は腹の出たでっぷり体型が似合う。私なんぞは、細身なので装束や衣装を着けるときはバスタオルを腹に巻いていたものだ。その点、浅井先生の和服の似合うこと!浄瑠璃の師匠でも充分通用するな(写真は井上雅人氏のブログより)。

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舞台で演じるのは日本舞踊の名取・師範。主役の狂女役の顔に見覚えがあるので、配役を見たら俳優の篠井英介であった。性格俳優としてTVにも数多く出演し、現代劇の女形としても有名である。舞踊も一級品であることに驚かされた。

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能の隅田川には作曲当時の有名な論争がある。隅田川はかの世阿弥の長男である観世十郎元雅の作である。次男が記した「猿楽談義」には、上演で狂女の子供の幻(亡霊)を舞台に出すか、出さないか(声だけ聞かせる)を巡って世阿弥、元雅の親子間で論争があったと書かれているのである。

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作者である元雅はリアリストであり「出す」のは当然だと主張。これに対して「幽玄」を重んじる世阿弥は、幻は母親(狂女)の心に生じたものであるとして「出さない」方が良いとしたのである。私は両方の演出の能を観たが、勿論どちらが良いとは言えない。子方が出れば、涙を誘うような現実的な舞台となる。一方、子方を出さないと、なにか悶々としたやるせなさが漂う。

カーリュー・リヴァーでは、子方が出る演出がとられた。子役が二度舞台を横切る。原作ではどのような指定があるのか分からないのだが、子方が出ることにより「奇蹟」あるいは「救い」が演出され、ブリテンはキリスト教的な救済に繋がってゆく意図を狙ったと思うのだ。

歌い手について書かなければ叱られる。ソリスト、合唱ともに素晴らしかった。テクニック的に大変な曲だと思うし、日本語による歌唱はかえって難しかろう。鈴木准氏は狂女役を見事に演じたほか、ワキの渡し守を歌った大久保光哉氏が大熱演で感動を誘った。ワキツレ旅人役の井上雅人氏の存在感ある歌唱。そして、浅井先生の舞台を包み込むような美声。地謡の「地頭」としての牽引も立派だった。

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さて、もう一つの隅田川、清元である。花柳壽輔の舞踊は大変見栄えのする立派な舞台だった。私の手元に、斑女の前(シテ) 壽輔、渡し守(ワキ)花柳基の同じ配役の録画がある。昨年、国立劇場で演じられた隅田川だが、壽輔の演技はこの時よりもさらに磨きがかかり、完成度が高まっているように感じた。子を亡くした母親の深い悲しみと狂乱を、能の様式美を損なわずに、よりストレートな感情に訴える見事な舞踊である。すすり泣く観客も少なからずいたようで、私も涙を禁じえなかった。能の隅田川を観た後に受ける行き場のない哀傷を、この清元にも深く感じ、舞台を後にした。


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