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2012年12月 2日 (日)

NHK特番「ユーミン 40周年記念」を観て

時期を得た企画、NKH特番「ユーミンデビュー40周年 はてしない夢の旅」を観た。番組を観ながら逐一メモをとったのだが、エッセンスと感想をここに記したい(写真はWIKI検索による転載)。

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アルバム通算3000万枚販売、歴代女性シンガーでダントツトップの偉業である。彼女自身「時代の波をくぐりぬけ、よく生き残れた」と述懐している。1972年にシンガーソングライターとしてデビュー、19歳で「ひこうき雲」をリリースした。番組のナレーターでユーミンとともに音楽シーンを歩んだ小林克也は、荒井由実(時代)のことを次のように述べている。「愁いを帯びた哲学的な歌詞と洗練されたポップサウンドを生みだす天才少女の出現。フォークや歌謡曲が主流だった日本の音楽シーンに衝撃を与えた」。

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ニューミュージックという新たなサウンドを生み出した彼女の音楽性が高く評価され、デビュー当時から既存の歌手に多くの楽曲を提供してきた。その数250曲。松田聖子の「赤いスイトピー」、原田知世の「時をかける少女」、薬師丸ひろ子の「woman~Wの悲劇」などスーパーアイドルの黄金期を支えてきたのも彼女の曲である。

映画の主題歌も多い。1989年の「魔女の宅急便」では、彼女が20歳の時に作曲した「やさしさに包まれたなら」が使われた。最後のフレーズ「目に映る全てのことは、メッセージ」というくだりは、彼女自身「自分でもどこから出てきたのかわからない」と言っている。ユーミンの歌は「曲先」が多く、「メロディーが呼んでいること(歌詞)を一生懸命探す作業」だという。

1976年松任谷正隆と結婚してから、新しいユーミンの世界が拡がる。曲想がポップス調に移り、ステージも大変大掛かりなものになってくる。以降、1991年には年間59億円もの売り上げを成し遂げ、日本ゴールドディスク大賞を受賞。このときのインタビューで「才能は母乳と同じで、出し続けないと身体に悪い。どんどん走り続ける」と話している。しかし、生みの苦しみは大変だったようで、今回の番組では「胃にボコボコ穴が開いた。プレッシャーというより、神経がいつも立っているから、勝手に内臓が動いちゃうって感じ。眠れないし、身体がもたなかった」と述懐している。彼女ほどの天才にしてもこうなのである。

1978年からはマリーナコンサートが始まり、一方で1981年からは、現在まで続く苗場コンサートがスタートした。余談だが、若者にスキーブームを巻き起こした1987年の「私をスキーに連れてって」の主演原田知世の相手役がいまや特異な性格俳優として名を成す三上博史だったとは!

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そして、彼女の音楽シーンの一つの頂点ともいえる1999年から2007年、三回に亘って演じられた「SHANGIRILA」。総費用120億円、観客動員数100万人にもおよぶ大イベントで、ロシアのサーカスやシンクロなど、世界の一流パーフォーマーとのコラボが夢のステージを作り上げ一世を風靡した。彼女は「今でも本当にやったのか?なんて思います。お金のかかり方も含めて、もうできないでしょう。そういう時代は過ぎてゆくことも分かっていましたし、分かっていたからこそ思い切ってやりたかった」と話す。

さて、番組はこの後、彼女のデビュー時代に遡る。ユーミンが中高を過ごした立教女学院を訪ねる場面である。入学当初ここの聖マーガレット礼拝堂での出来事である。礼拝堂でのオルガン演奏を聴いて、言葉にならないほどの雷に打たれたようなショックが身体を走った。それはなんと、バッハの超有名曲「トッカータとフーガ二短調」であった。このとき彼女は「音楽はもっと普通に聴いて楽しむものだったんだけど、何かしたいという思いが湧いてきた」と感じた。ユーミンは同じ頃13歳の時、プロコルハルムの「青い影」を聴いて、オルガンをフューチャーしたロックと出会い、音楽の道に進む大きなキッカケになったのだが、この二つの出来事が「ロックと教会音楽を橋渡ししてくれた」「自分にもなにかできるかもしれない」と考えたという。

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この辺りの経緯は、私のブログでも何回か触れ、指摘しているので、とても嬉しく番組を観ることができた。そして、一つ前のブログで話したように、プロコルハルムとのレコーディング場面に繋がってゆく。場所は、ロンドンのあの「アビーロードスタジオ」。リーダーのゲイリー・ブルッカーは67歳の現役である。ユーミンは「今回のレコーディングで自分の中のプロコルハルムの大きさを改めて実感した」。「私自身プロコルハルムから出発して、ジャズやボサノバなど雑食でやってきたが、でもそれがロックなんだろうと思う」と言っている。

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番組の最後は、「伝説のスーパーバンド」キャラメルママとの処女作「ひこうき雲」のセッション。顔合わせは15年ぶりとのことだが、デビューから数えると40年ぶり。実は、私のブログでも採り上げたのだが、遡ること3年前、当時の関係者が集まって、ファーストアルバム「ひこうき雲」のマスターテープを聴くという、実に興味深い番組がNHKで放映されたのだ。先日も再放送されたので、あるいはご覧になった方もいるかもしれないが、荒井由実ファンとしては必見の番組といえよう。本当にシビレる番組だ。もしご覧になりたい方がいればご連絡ください。DVDを貸出します。

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-62f7.html

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今回の番組では、キャラメルママとユーミンでひこうき雲を演奏するのだが、演奏そのものは勿論、感想戦が面白い。旦那の正隆は「ユーミンの音楽の第一印象は良かったが、本人の印象は良くなかった」という。ギターの鈴木茂は「ユーミンの曲の力、世界観がハッキリしていたので、(収録時のアレンジなど)困った覚えがない」、細野晴臣も「曲を聴いてすぐに演奏できた」と述べている。この時代の収録は、スタジオに集まって、コード譜からアレンジをしていた時代なのだ。まさに、天才同志の個性のぶつかり合い、曲作りが手に取るようにわかって興味が尽きない。ユーミンは「曲を作っても、それを形にしてくれるミュージシャンがいてくれないと意味がない。埋もれていた自分の意図しないレベルまで音楽を膨らませてくれた皆さんに感謝する」と言っている。

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40年を振り返る特番では彼女が作った39曲が流され(録画を見ながら数えました)、まさにユーミンの歴史が分かる。と同時に、相変わらずのプロモーションの上手さには舌を巻く。NHKでの特番とそのまえの再放送。プロコルハルム来日によるジョイントコンサートまでやってしまうのだ。

さて、また3年前の番組に話が戻るのだが、ユーミンのルーツはブリティッシュ・ロックであり、キャラメルママはアメリカン・ロック。ユーミンもセッションを行うことには相当な抵抗があったらしい。正隆は「ブリティッシュロックを敵視していた」と公言している。面白いのは、ユーミンが築き上げたニューミュージックは、アメリカンロックとブリティッシュロックが融合した地点にあったということなのだ。

ユーミンは言っている「今の私の傍らに、常に40年前の荒井由実がパラレルで存在する。とても、不思議な感覚なのだが」。そう、この言葉を聞くと、荒井由実ファンとして、多くの方が納得されるのではないか。そこが、ユーミンの魅力なのだと。

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