小澤征爾と日本人
前回のブログ「カラヤンと日本人」のお次は「小澤征爾と日本人」である。別に奇をてらっているわけではない(笑)。
前回ブログでも採り上げた小澤の番組で、面白かった話をもう一つご紹介しよう。彼が20歳半ばで、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した後の話である。
小澤は、「コンクールに優勝したのだから、翌日から仕事が来るだろうと思ったら何も来ない。マネージャーも一人も訪ねて来ない」ことに愕然としたという。手持ちの金も少なくなり、食うものにも困る有様であった。このため、群馬交響楽団からの誘いもあり、日本に帰国することを真剣に考えていた。
おりしも、ローマオリンピックの特派員としてフランスに立ち寄った作家の井上靖の通訳兼案内をすることになった。時間もあったし、金もないので、そんな仕事までしていたのである。小澤は井上靖に身の置き所のないグチをこぼし、帰国しようか迷っていることを伝えた。
それを聞いた井上靖は、言下に「とんでもない!」と小澤を一喝した。井上靖は、コンクールに優勝したからすぐに仕事が来るわけではないことを諭しつつ、「文学者という職業は、作品が海外で翻訳される際に、どんな人がどのように翻訳しているか、それに関与できない。一方、音楽家は翻訳無しでどこの国でも通用する。お客さんが(文学の場合は読者)直接あなたの音楽を聴いてくれるのだ。そんな素晴らしい芸術はほかにはない。だから弱気にならずに、絶対にフランスで仕事を続けろ」と励ましたのである。
井上靖の激励の効果があってか、自分から前向きにぶつかってゆこうと決意をしたら、不思議なもので、次第に活躍の場が増えていったそうだ。小澤は絶対にあきらめてはダメだと強調していた。
でも、私に言わせれば「不思議な話」ではないのである。勇気が湧き、なにくそと人一倍努力をしたからこそ、仕事が舞い込んできたのだと思う。実際、小澤もこう言っている。「自分が音楽界で大成できたのも、努力の結果である。自分が音楽を勉強する時間は、この歳になった現在でもほかの外国人指揮者よりも多いと思う」。また、彼はこのようにも述べている。「日本人の音楽家でいわゆる天才肌の人はいない。そんな日本人は見たことがない。日本人のクラシック音楽家は、みな人一倍努力しているのだ」と。
勿論、芸術の分野では天賦の才能がなければ話にならないのは事実だろう。しかし、才能を支える努力が必須なのは言うまでもない。神尾さんは「人一倍という言葉はは嫌いだ。人二倍以上(笑)・・・」といつも言っている。我々が身をおいているビジネス、さらには趣味の世界においてはなおさらである。昨今、ビジネスや学術の世界では、日本が新興国に追い越される危機感が日増しに強くなっている。しかし、今大切なのは、世界に冠たる日本経済をこれまで支えてきた、「努力」に思いを馳せてみることであろう。日本人もちょっと前まではハングリーな「肉食系」だったのだから。
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