« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月30日 (日)

名古屋といえば・・・・えび

名古屋といえば、・・・えびフリャーなどに代表されるB級グルメの宝庫である。

二ヶ月に一回くらいの割合で、名古屋に出張するのだが、こうした地場の名産を食べるのが楽しみでもある。大阪は何を食べても旨くて安い。しかし、名物となると・・・粉モノくらいしか頭に浮かばない。

その点、名古屋は、きしめん、名古屋うどん、櫃まぶし、手羽先、味噌カツ、餡かけスパゲティ、どて煮や台湾ラーメン(ちょいとローカルか)まで、垂涎の特色のあるB級グルメが勢ぞろいしている。

しかし、どういうわけか、名古屋グルメの本命である海老フライにはお目にかかったことがなかった。会社の同僚と名古屋グルメの話題で盛り上がっていた時、エビフライの名店を教えてくれた。その名は「まるは食堂」。ここを知らないとモグリだそうだ。

Sh3k01590001_2

本店は知多半島の先端?にあるのだが、5年ほど前に名古屋(三越並びラシック店)にも支店をだしていたことも教えてくれた。先日の名古屋出張の際に立ち寄り、名物のエビフライを食したのだ。

Sh3k01610001 Sh3k01620001

なんといっても、海老の大きさ。圧倒的な存在感である。知多半島で採れた車えびを使っていて、実が詰まっているせいかズシリと重いのだ。ブラックタイガー・・・・なんてのエビフライとは全く違う、正統派のエビフライ。味も推して知るべし。所詮エビフライなんて・・・・・と思う人も考えを変えることになろう。ガブリとかぶりついたのだが、揚げたてで口中が火傷してしまった。

Sh3k01600001

素晴らしいのは、付け合せの刺身。出てきたのははまちに鯛の造りだが、いずれも肉厚でこりっと弾力があって豪快に旨い。本店では旅館も営んでいて、温泉にも入れるらしい。

さて、今週5日の土曜日は、いよいよ会社の第九記念演奏会。10月来、練習を重ねてきた成果がでる。

音楽ブログランキング ココをクリックしてください

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月22日 (土)

ラッキーカラー

私の今年のラッキーカラーはオリーブ色なのだそうだ。年の初めに友人が教えてくれた。どういう占いのいわれなのかは知らない。

台湾に重要な会議で出張することになり、友人の話を思い出し、空港でオリーブ色の小物を探した。見つけたのがリストバンド。コラントッテというブランドの健康器具らしい。名前からすると、肩こり・・・に効くのかもしれない(笑)。価格2000円也。

Sh3k0142_2 

そのおかげなのか、行く先々で仕事は極めて順調に進み、大変よい出張であった。アドヴァイスしてくれた友人に感謝である。これを台湾に同行した仲間に話したところ、台湾の名産に「翡翠」工芸品があるという。確かに翡翠はまさにオリーブ色である。帰りに工芸品店に立ち寄り、翡翠のブレスレットを買い求めた。

本物の翡翠だから、コラントッテの10倍くらいの値段。まあ、縁起物だから多少高価でも仕方ない。翡翠は古来災いから身を守り、福をもたらすものとして珍重されている。縁結びにも効用がある、大変ありがたい玉なのである。ショップでは、一つ金髪晶という金色の水晶を入れてくれた。これはルチルクォーツといって、透明な水晶の中に金髪が入り込んだような針状の結晶が見える珍品。震動力が強く、あらゆる疾病に効くといわれている。金色をしているだけに、金運も呼ぶともいわれ、最近日本でも人気が高いそうだ。

Sh3k0141

ちなみに、このショップは、私の勤務している会社の取引先で、東南アジア観光サイトを運営している企業の加盟店であった。これも、なにかのご縁=セレンディピティというべきか。

今回の出張はうまく行ったのだが、帰国してから体調が優れない。重要な会議が続き珍しく緊張したせいかもしれない。でも、気になったのは台湾で懇談した取引先の1人。彼は胃腸がやられたとのことだったが、どうみても、年末私が罹った病気の症状に酷似している。今日本でも大流行している病気で、彼は日本と台湾を行き来しているので罹病しても無理はない。懇親会では、私は彼の隣に坐り、同じ鍋をつついたのだから・・・・・・・翡翠のパワーで、病退散とゆきたいのだが、さて。

音楽ブログランキング ここをクリックしてください

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月17日 (月)

行列のできる・・・金子半之助

行列のできる法律相談所・・・・ではなく、金子半之助という天丼のお店です。

昼食はいつも外食。会社が京橋から日本橋に引越したので、ランチ旨い店探訪の毎日である。日本橋室町の奥路地でいつも行列が出来る天丼のお店がある。金子半之助というお店。昨年の11月に開店した新顔だが、抜群にコストパフォーマンスがよく、テレビで紹介されて以来人気沸騰した。

たまたま1人で食事に出ることになり、あまり並ばずに滑り込むことが出来た。写真をご覧いただきたい。このネタの凄さ、キップのよさ(笑)。メニューは写真の江戸前天丼と海老天丼しかないようだが、この盛りで880円とは驚く。100円の味噌汁をつけても1000円でおつりが来るのだ。

Sh3k01260001_2 

どんぶりの一番奥に逆イナバウワー状態なのが穴子。どんぶりからはみ出していてとにかくデカイ。その手前が海老二匹。左側の丸い天麩羅は、なんと玉子。玉子は意外性があるが、とろりとご飯に絡んで、玉子好きの私には堪えられない。手前の小さめの天麩羅は貝柱である。

これだけでも、値段が信じられないくらいの豪華さだ。心配なのはお味だが、素材を生かしつつ、どれも丁寧に揚がっていて旨い。穴子が生臭いとの口コミも見たが、個人的には穴子はこれくらい磯臭くないと食べた気がしない。タレの味付けも甘からず辛からずで私好みである。唯一問題があるとすれば、どんぶりが見た目より浅い=上げ底になっていること。したがってご飯が意外と少ないのだ。まあ、これでご飯が大盛りだったら食べきれないのだがら、このくらいで丁度良いのかもしれない。味よし、量よし、値段よしの「三方よし」の天丼ではあった。

Sh3k0125

お昼時は大行列状態だが、通しで21時まで営業しているので、時間を外してゆけばたいして並ばずに食べられるだろう。写真は、カウンターに乗せてある漬物(白菜と生姜)。誰でも好きなだけ食べられるのは嬉しい。

さて、金子半之助とは何者ぞ。ネットで調べると、金子はその昔日本調理師会理事長を務めた料理人。こよなく和食を愛し、その孫(三代目)が半之助没後20年を記念して当時の天丼を復活したのだそうだ。半之助の閻魔帳(レシピ)にあった、秘伝の天丼のタレの作り方を研究して復刻したらしい。ぜひお試しされたい。

Hannosuke

明日から、台湾に出張してきます。台湾(台北)は昨年に続き二度目。亜熱帯なので日本よりずっと暖かいそうだから嬉しい。来月は今度は韓国に行く予定なのだが、こちらは最高気温が零下。最低気温は零下20度くらいになるそうだ。こちらはしんどいなあ。

音楽ブログランキング ここをクリックしてください

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年1月15日 (土)

小澤征爾と日本人

前回のブログ「カラヤンと日本人」のお次は「小澤征爾と日本人」である。別に奇をてらっているわけではない(笑)。

31610_1 

前回ブログでも採り上げた小澤の番組で、面白かった話をもう一つご紹介しよう。彼が20歳半ばで、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した後の話である。

小澤は、「コンクールに優勝したのだから、翌日から仕事が来るだろうと思ったら何も来ない。マネージャーも一人も訪ねて来ない」ことに愕然としたという。手持ちの金も少なくなり、食うものにも困る有様であった。このため、群馬交響楽団からの誘いもあり、日本に帰国することを真剣に考えていた。

おりしも、ローマオリンピックの特派員としてフランスに立ち寄った作家の井上靖の通訳兼案内をすることになった。時間もあったし、金もないので、そんな仕事までしていたのである。小澤は井上靖に身の置き所のないグチをこぼし、帰国しようか迷っていることを伝えた。

それを聞いた井上靖は、言下に「とんでもない!」と小澤を一喝した。井上靖は、コンクールに優勝したからすぐに仕事が来るわけではないことを諭しつつ、「文学者という職業は、作品が海外で翻訳される際に、どんな人がどのように翻訳しているか、それに関与できない。一方、音楽家は翻訳無しでどこの国でも通用する。お客さんが(文学の場合は読者)直接あなたの音楽を聴いてくれるのだ。そんな素晴らしい芸術はほかにはない。だから弱気にならずに、絶対にフランスで仕事を続けろ」と励ましたのである。

井上靖の激励の効果があってか、自分から前向きにぶつかってゆこうと決意をしたら、不思議なもので、次第に活躍の場が増えていったそうだ。小澤は絶対にあきらめてはダメだと強調していた。

でも、私に言わせれば「不思議な話」ではないのである。勇気が湧き、なにくそと人一倍努力をしたからこそ、仕事が舞い込んできたのだと思う。実際、小澤もこう言っている。「自分が音楽界で大成できたのも、努力の結果である。自分が音楽を勉強する時間は、この歳になった現在でもほかの外国人指揮者よりも多いと思う」。また、彼はこのようにも述べている。「日本人の音楽家でいわゆる天才肌の人はいない。そんな日本人は見たことがない。日本人のクラシック音楽家は、みな人一倍努力しているのだ」と。

勿論、芸術の分野では天賦の才能がなければ話にならないのは事実だろう。しかし、才能を支える努力が必須なのは言うまでもない。神尾さんは「人一倍という言葉はは嫌いだ。人二倍以上(笑)・・・」といつも言っている。我々が身をおいているビジネス、さらには趣味の世界においてはなおさらである。昨今、ビジネスや学術の世界では、日本が新興国に追い越される危機感が日増しに強くなっている。しかし、今大切なのは、世界に冠たる日本経済をこれまで支えてきた、「努力」に思いを馳せてみることであろう。日本人もちょっと前まではハングリーな「肉食系」だったのだから。

音楽ブログランキング ここをクリックしてください

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月11日 (火)

カラヤンと日本人

今日は前回予告した「カラヤンと日本人」について書こう。

カラヤンについては沢山の書籍が出ているし、「カラヤンと日本人」なる題名の本もあるようだ。ここでは、カラヤンの藝術論を採り上げるつもりはない。

Imagescaueayyj

一つ前のブログでアンネット・一恵・ストゥルナートさんを採り上げた。昨年放映された彼女のドキュメント「わたしのラストオペラ」は素晴らしい番組だった。波乱万丈の彼女の人生と歌・オペラ(ウィーン国立歌劇場)にかける情熱。そして、歌劇場を去ってゆく寂しさを余すところなく描いている。

しかし、最も感動を与えるシーンは、彼女とカラヤンとの出会いの場面であろう。アンネットさんは、31歳の時単身日本を飛び出してウィーンに移り住む。苦労の末国立歌劇場団員歌手の試験に合格するが、試練はここからだった。なんといっても、東洋人で初めての歌手だったため、あからさまな人種差別を受けた。「黄色いサル」と呼ばれたり、逆に全く無視されたり・・・・・3年間もひどい仕打ちを受けた。

Album2000

ある時、カラヤン指揮のオペラのリハーサルがあり、彼女が練習に集中できないでいることをカラヤンに見抜かれてしまった。彼女が精神的に不安定な状況にあったからである。カラヤンは何をやっているんだ!とばかり、彼女のところに叱り付けに来たが、彼女の顔を見て驚いた。「君はどこから来たんだい?」「そうか日本か。遠いところからよく来たね」とアンネットの肩を抱いてくれた。そしてカラヤンは、「彼女は日本からたった一人でウィーンに来たんだ。皆もどうか彼女を支えてやって欲しい」とスピーチした。

アンネットはウィーンに来てこのかた、初めて優しい言葉を掛けられ・・・しかも、あのカラヤンに・・・・いままでの苦しさやつらいことが思い出され、カラヤンの肩からズルズルと崩れ落ち、彼の足元にひざまずいて号泣したらしい。その時、カラヤンは彼女の全てを察し、また理解し、彼女の頭を優しく撫でながらこう言ったのだ。

「アンネット立ちなさい。これから何かあったら、何でも僕に言うんだよ」。

それ以来、彼女に対するイジメはぴたりとなくなった。そればかりか、以後カラヤンのオペラでは、アンネットを最前列に配置してくれたり、彼女の長女の名付け親にまでなってくれたのだという。

なんと、感動的な話だろうか。カラヤンはクラシック音楽界の「帝王」と呼ばれ、非常に権威的な存在であったことは事実だろうし、その音楽性についても賛否両論あって、私もどちらかというとネガティブな感想を持っていた。しかし、こうした極めて暖かな人情味溢れる逸話を聞くと、音楽家以前に、カラヤンが人間として素晴らしいものを持っていたことに、ただ敬服するしかないのである。

面白いことに、同じような話を小澤征爾も話していた。BSの「100年インタビュー」という番組である。小澤が渡欧して駆け出しの頃、カラヤンの弟子になって数ヶ月くらいの時である。たまたまベルリンでバーンスタインのオーディションがあり、それに小澤が合格してしまった。当時、カラヤンとバーンスタインは世界のクラシック音楽界を二分するライバルである。小澤は恐る恐るカラヤンに、1年間だけバーンスタインの元に行ってよいか、お伺いを立てたところ、思いかけずオーケーが出た。

Imagesca37hfvz

結局、小澤は1年では帰れず、そのあとシカゴの音楽監督に就任するなど、カラヤンのもとには戻らなかった。しかし、小澤いわく「カラヤンは死ぬまで小澤を自分の弟子だと言っていた」「カラヤン自身にも、周囲の人にも、小澤にもそう思わせていた」。小澤はカラヤンのそうした根性を讃えながらも、カラヤンの小澤に対する「えこひいき」は凄かったと述懐している。

その理由として、「カラヤンが日本人を助けようと思ったこと。東洋から来ている言葉も出来ない貧乏な音楽家を守ってやろうとした」のではないかと小澤は言う。実際、カラヤンは死ぬまで、ベルリンフィルの定期演奏会や、カラヤンが音楽監督を務めるザルツブルク音楽祭には、毎年小澤を呼んでいたのだ。

アンネット・ストゥルナートの話と小澤の話・・・・・どちらも、カラヤンの日本人贔屓を伝える話である。しかし、小澤が言うような単なる「えこひいき」では断じてないし、日本にカラヤンファンが多かったからでもないだろう。彼の弱者や差別された者への愛情や共感がそうさせたに違いない。繰り返しになるが(笑)、カラヤンの音楽性にはいささか疑問を感じ得ない私である。しかし、彼の人間性には惜しみない賞賛を与えたい。

音楽ブログランキング ここをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 9日 (日)

ストゥルナートを聴く

アンネット・一恵・ストゥルナートを聴いた。1月7日 日本橋三越百貨店における新春イベントにおいてである。

Photo_2 

アンネット(ここではこう呼ばせていただく)さんについては、昨年のBS番組「わたしのラストオペラ」を観ていたく感動した。本当はこの番組を題材に、「カラヤンと日本人」というテーマで記事を書こうとしていたのだが、三越のイベントがとても良かったので、こちらを先に採り上げることにする。

アンネットは、日本人、いや東洋人としても初めてウィーン国立歌劇場団員歌手オーディションに合格、その後70歳台半ばになる昨年まで、40年間も同歌劇場で歌い続けてこられた。波乱万丈の生涯で、歌も通信教育による独学からスタートするなど極めてユニークなキャリア。これまでの公私にわたる苦労たるや大変なものがあるのだが、そのあたりは自伝「ウィーン わが夢の町」に詳しい。

http://www.shinchosha.co.jp/writer/3396/

ホームページもご覧いただきたい。

http://www.annet-kazue-strnadt.com/index.html

当日の曲目は、昨年発売された3枚目のCD「愛の讃歌」のプロモーションの意味もあるようで、同CDから数曲が披露された。順に、「バラ色の人生」「愛の讃歌」「いい日旅立ち」「ラヴ イズ オーヴァー」。ポップス曲なのが残念だったが選曲はなかなか気が利いている。

Sh3k0129

御歳70歳代半ばだから、流石に「声」の衰えは隠せない。しかし、それを補って余りあるのが、歌に込められた情感である。各曲とも思いいれタップリの歌唱で、ややデフォルメが強すぎる感もあるが、そこには紛れもなく、アンネットの人生そのものが表出している。彼女独自、彼女そのものの歌なのである。

共演者も凄い、というか驚きである。サックスの平野公崇はクラシックにとどまらず広範なジャンルのミュージックシーンで活躍する日本一、いや世界的なサックス奏者。ベースは藤原清登。彼は、バークレー音楽院、ジュリアード音楽院の双方で研鑽を積んでいるように、これまたジャンル、ボーダーレスに大活躍。今はなきスイングジャーナル誌ではトップに選出されている。

さて、最後の曲は「ウィーンわが夢の街」。おなじみジーツィンスキー作曲のウィーナーリートの名曲。「メリーウィードウのワルツ」と並んで私も大好きな曲です。ところが、歌いだすや否や、彼女はステージから客席におりて、聴衆と握手をはじめたのだ。本当に飾らない性格に思わず微笑んでしまう。

Sh3k0130

私は最後列で立ち見をしていたのだが、とうとう私のところにも来た。ずっと、ドイツ語で歌いながらである。私は握手をしながら「ウィーン、ウィーンお前は・・・」と口ずさんだ(ドイツ語では歌えない)。そうしたら、アンネットは私の顔をまじまじと見ながら、とても嬉しそうに微笑んでくれた。なぜか、それが長い時間のように感じられたのだ。心が暖かくなるミニコンサートであった。

アンネットが試聴できますhttp://musico.jp/contents/artist_index.aspx?id=a13359

音楽ブログランキング ここをクリックしてください

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 5日 (水)

ヒビ努力すべし!

神尾さんの最新のブログは、「感動の源は努力である」という記事。日々の地道な努力を説いている。

私はこの正月に、ひょんなことから自宅で転倒してしまい。大変な目にあった。胸のサイドが痛むので、今日外科医にみてもらった。どうやら、肋骨にヒビが入っているらしい。

医師: 肋骨の骨折や打撲はなかなか治りにくい。走ったり運動をしたりして、呼吸が乱れることは避けて欲しい。自然な呼吸を心がけ、できるだけ平静にしていて欲しい。

私 :合唱をやっているのですが、体に障るのでしょうか?

医師:とんでもない!大人しくしていなさい。

私 :トホホ。

というわけで、「日々の努力」は怠りたくないが、しばらくは「ヒビで安静」(笑)に心がけなければならないだろう。

音楽ブログランキング ココをクリックしてください。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年1月 1日 (土)

マルガツ第九で歌い収め

皆さん、あけましておめでとうございます。

新年最初の話題は、去年の話になるが(笑)、大晦日の第九歌い収め。もちろん、大晦日といえば丸の内合唱団 in 丸ビルの恒例ガラコンサートである。

当日は、オペラ「椿姫」の乾杯の歌とか、このブログでも予告していたように藤澤ノリマサさんとの共演もあったのだが、我々マルガツが力を入れていたのは勿論メインの第九である。

結果は素晴らしい出来だった。今年の課題は「流麗に美しく歌うこと」であったが、よく訓練され力まず美しく歌えたように思う。それと、マルガツ特有の団員の入れ替わりの激しさが日常的にあるものの、第九演奏も6回を数え、十分に歌いこまれてきたことも大きい。例えば、歌詞の発声が明確になったし、特に難しい子音の処理もこれまでになく確り出来ていたのだ。だから、全体として大変堂々とした立派な演奏に仕上がったのだろう。

指揮の神尾さんも「音楽人生最高の第九」と読んで字のごとく最高の賛辞を下さった。ちなみに、この「最高の・・・」というのは本ブログの少し前の記事のパクリである(爆)。これはコバケンが発した言葉なのだが、我ながらなかなか良い表現だと思う。しかし、神尾さんも言われたし、私も記事に書いたことだが、あくまでも「現時点」での最高であって、次回以降これが「更新」されるであろうし、「更新」できるよう努力を続けてゆかなくてはならないのだ。

神尾さんの指揮もとても良かった。ひとつは、本番ならではの情熱が満ち満ちていて、その姿を見るにつけ合唱団やオケもヒートアップしたこと。何年か前は指揮振りもやや大人しく、うつむき加減で指揮することが多かった。最近はどこか吹っ切れたところがあって、堂々とした指揮ぶりに安心感を覚える。さらに重要なことは、オケの統率力に優れていることだ。臨時編成の悩ましい所だが、リハを聴く限りでは、今回のオケには不安を感じた。ソロパートの技量もさることながら、トゥッティのまとまりや緊張感が欠けていたように思う。しかし、第九の本番では、そうした不安が払拭され、立派な演奏が出来上がった。その間の、神尾さんの指導力がモノをいったに違いない。

さて、裏話を一くさりしよう。既に、本人が mixi日記に発表しているので記事にしても許していただけるだろう。本番当日の並びは二転三転して決められた。ゲネプロでは私の真後ろにはKさんが立って、嫌な予感がした。彼は声量がバカでかいからである。普段の練習でも出来るだけ彼の前には立たないようにしているくらいである。果たして、パワー全開であたかも重戦車・・・・いや、街宣カーが行くが如し。これでは、私の自分自身の声も聞こえない。Kさんとはマルガツ創設来の仲であるし、私の後任団長だったりして、たいていのことは言える関係である。多少逡巡はしたが、思い切ってクレームをした。

「申し訳ないが、音量を半分にしてくれない」「美声であることは自他共に認めるから、声量が半分になっても美しい」「今年のテーマは美しく丁寧に歌おうです」などなどなだめすかしたのである。

実際、Kさんの声は立派であるし、高音域まで楽に出る大変うらやましい声である。しかし、いくら良い声を持っていても、力任せに大声で歌うなら合唱にはならない。ソリストである。また、えてして大声で歌うと微妙な感情表現が難しくなることも確かである。神尾さんが望んでいた今回の第九は、「力みなく、美しく歌う第九」である。

こんなクレームを面と向って出来るのは私くらいである(笑)。ほかの男声からは声が上がらない。しばらく、2人で言い合っていたが、思わぬ援軍が現れた。アルト女声陣から、「Kさん、我々からもお願いします」ときた。よっぽど女声の方が勇気がある(笑)。

そして本番を迎えた。Kさんは歌う前に「今年最後の第九だから、思い切り歌うぞ!」などと気炎を上げ嘯いていたが、実際はかなり声量をセーブしてくれた。おかげで我々は大変歌いやすく、演奏全体が成功した要因の一つだったような気がする(ちょっと言いすぎかな?)。演奏後、お礼のつもりで握手を求めたところ、彼は快く応じてくれた。でも、「セーブしていたのでストレスが溜まったよ」と一言ポロリ。

Kさん、合唱はストレス解消のために歌うんじゃないですよ(笑)。

写真は「音楽人生最高の・・・・」と講評する神尾さん

Sh3k0112_2  Sh3k0113

音楽ブログランキング ここをクリックしてください

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »