二つのパッション
今夜は業界団体の懇親会があった。私が仕事をしている業界は、100年に一度という大不況。どん底、いや底が割れている状態にある。そうしたなかでも、前向きに仕事をしてゆきたい気持に変わりはない。
参加者のスピーチが面白かった。その方は、厳しい時期だからこそ、パッション=Passion=情熱をもって仕事に取り組みたいという話をされたが、Passionにはもう一つの意味がある。それは「受難」だ・・・・・というのである。今は「受難」の局面だからこそ、「情熱」が大切・・・・なかなか洒落たスピーチであった。
確かに、受難曲はPassionと表記される。バッハの「マタイ・パッション」などと。私はすぐに、どうして一つの言葉が「受難」と「情熱」という正反対な意味なのかと尋ねたが満足な答えは返ってこなかった。
帰宅して、ネットで色々調べてみたところ、およそ次のような経緯のようだ。もともとPassionは中世以降の教会用語で、キリストの「受難」の意味から始まったようだ。ところが16世紀になると「情熱」の意味が出てくる。Passionには元来「動かされる」といった受動的な意味がある(だから受難曲。Passiveと同じ)。そして、「感情」は受動的な心的現象と捉えられていたというのだ。つまり、理性・意志は能動、感情・感覚は受動という概念である。Passionも14世紀ごろまでには「感情」一般をあらわしていたようなのですが、それがいつの間にか激しい感情=情熱をあらわすようになったらしいのです。
ちょっと難しい話ですが、お分かりいただけたでしょうか。上記スピーチの後に挨拶に立った私は、苦し紛れに「受難」は甘んじて受けるが「レクイエム」にならないようにと口走った。自分でも出来の悪いジョークだと思ったが・・・・。
ついでにいうと、果物のパッションフルーツのパッションは「情熱」の意味ではなく、「受難」のほうだという。花の形が、十字架にかけられたキリストの姿=受難に似ているからだという。詳しく言うと、花のめしべが張り付けの十字架に、5本の雄蘂が打たれた釘に、花を取り巻く副花冠がイバラの冠に、10枚の花弁及び萼が一人消えた師弟に例えられとのこと。なるほどなあ。
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