女性は教会で黙すべし
大分間が空いてしまったが、ラフォルジュルネ(熱狂の日)の続きを書きたい。
今回の一連のコンサートで、一番驚き、最も感激したのは「カウンターテナー」の上手さであった。カウンターテナーとは成人男性が主にファルセット(裏声)を使って女声の音域(アルトが多い)を歌うこと、あるいは歌う歌手のことである。
わが国でこのカウンターテナーが広く知られるようになったのは、「もののけ姫」を歌った米良美一を嚆矢とする。もちろん、米良はもともとクラシックの歌手なのだが、最近は合唱を聞きにいっても、男声がアルトに混じって歌っているのをチラホラ見かけるようになった。バッハのカンタータ、ミサ曲などの宗教曲でも、いまやカウンターテナーが大活躍、女声歌手(主にアルト)の存在を脅かすまでになっている。
この背景には、1970年代からバロック音楽を席巻しつつある、古楽器演奏の潮流がある。例えば、バッハを演奏する際には当時の楽器=古楽器、オリジナル楽器を使うという流れである。確かに現代楽器はロマン派の時代を経て、大きく、そして輝かしい音が出るように改造されたもので、バッハの時代に演奏されていた音とは大きく異なる。楽器そのものばかりか、ピッチを低く取ったり、演奏方法もビブラートをほとんど掛けない「ノンビブラート」の演奏が主流になっている。
となると、必然的に声楽も当時のオーセンティックなものが求められるようになってくる。実は、当時ヨーロッパ教会では「女性は黙すべし」という、今考えるととんでもないシキタリがあって、歌を歌うことが出来なかったらしい。まあ、男尊女卑の考え方は洋の東西を問わずあったわけで、芸能では日本も能楽や歌舞伎は女性ご法度であった。したがって、教会では少年がボーイソプラノとして女声パートを歌っていたが、少年では表現力に限界があるため、アルト部分を成人男性が裏声で歌うようになったのである。
現代の古楽演奏が行き着くところ・・・・・バッハの時代の演奏を再現するという目的には、カウンターテナーがなくてはならないのである。10年以上前までは、カウンターテナーも少数しかいなかったし、日本でも好奇の目で見られていたことは確か。しかし、今回の熱狂の日では、素晴らしいカウンターテナーに接することが出来た。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手でもあるフリップ・ピエルロ(上記写真)率いるリチェルカーレ・コンソート(ベルギー)の演奏で聴いた、カルロス・メナその人である。
演奏曲目は、
①ヨハン・クリストフ・バッハ:ラメント(哀歌)「ああ、私の頭が水で満ちていたら」
②バッハ:カンタータ第4番「キリストは死の縄目に繋がれたり」bwv147
③バッハ:カンタータ「主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ」bwv131
リチェルカーレ・コンソートの演奏は、しみじみとした情感に満ち、深い精神性をたたえた演奏。本当に良いものを聴いたなという感想であった。特に、カウンターテナーのメナの声は素晴らしい。正直、冒頭で採り上げた米良美一の「カウンターテナーってこの程度」という概念を大きく打ち破る大変立派な声なのだ。言葉では言い表せないもどかしさああるが、芯のある伸びやかな声。音量も十分でノンビブラートの艶やかな音の塊が、聴く者の胸をついてくる。それでいて押しつけがましくない端正な表現。中性的という表現は当てはまらないが、男性にない色気も感じさせる、なんともいえない生理的に美しい声なのだ。
このコンサートの前に、ペルコレージの名曲「スターバトマーテル」(悲しみの聖母)を聴いたのだが、ソリストは著名なバーバラ・ヘンドリクス。しかし、その大きなビブラートには正直幻滅した。60歳という年齢のせいもあろうが、女声にはビブラートが付きまとう。宗教曲はやはりノンビブラートの清純な声で聴きたいものである。この点、カウンターテナーでは、ほとんどビブラートがかからず、清明な神の世界に遊ぶ雰囲気に浸れるのである。
このあと、書きたかったOVPP・・・VSOPじゃありません(古い!)、One Voice Per Partについては、長くなったので次回に回します。
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