深大寺といえば・・・・・
深大寺といえば・・・・・・蕎麦ですかね。いや、今日は深大寺に薪能を観に行きました。
私の友人が、某大手企業のオーナーさんの知り合いで、この会社が主催している薪能だった。このオーナーさんは、ベンチャー企業の育成に力を尽くされた方で、私の仕事とも関係がある方です。私の友人からオーナーさんをご紹介いただきましたが、仕事の上でもご縁ができるとよいと思います。
薪能とは、神社仏閣などの野外で行われる能楽。お能は通常専用の能楽堂で行われるが、昭和40年代ころから全国各地で薪能が行われるようになった。文字通り夜間かがり火のもとで演じられるお能は、幽玄な趣があって素敵である。深大寺では今年で18回を数えるというから、古い部類に入る。残念ながら今夜は大雨で、急遽お寺の本堂で演じられることになった。
このブログでも何回か書いているように、私は大学時代能楽のクラブに入っていて、それ以来時々お能を観にいっているが、ここ2年くらいご無沙汰していて、本当に久しぶり。やっぱり、お能は素晴らしい・・・・合唱も良いが、能楽は日本人の血が騒ぐのである。
演目は「清経」。能楽にはいくつかのジャンル(類型)があって、この能は二番目=修羅物に属する。修羅というのは、仏教の六道輪廻の一つで、生前戦いに明け暮れた人間が陥る苦しみの世界で、修羅道でも争いにさいなまれる。主人公は平家の武将「平清経」だが、源平の戦いの報いで、死後も苦界にとどまっている。
というと、なにか壮絶なお能のようにも見えるが、実はこの演目は夫婦の細やかな情愛がテーマとなっている。源氏に追われて入水自殺をした清経の亡霊が、哀しむ妻の前に現れて、自分の最期の様子を再現する。妻の悲しみとそれを慰めよう?とする清経の亡霊の掛け合いがなんともしみじみとした能なのである。
お能の武将には平家と源氏の両方を扱った演目があるが、その内容の深さは平家の演目が断然勝っている。「滅びゆくものの美しさ」を愛でるのは、やはり日本特有の美学であろう。そして、源氏の荒々しい武将ではなく、平家は「公達」といわれるように、文武両道に秀でた貴族的なインテリジェンスが、お能の題材にピッタリなのである。
久しぶりに日本文化の粋に触れた夕べであった。
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