2009年7月 9日 (木)

異形(いぎょう)の「運命」

いやー、驚いた。そして、めちゃくちゃ楽しかった。感動したかは別として・・・・・「運命」、そうベートーヴェン第五交響曲である。

合唱団員にはネタバレだが、ある方からコンサートのご案内をいただき、サントリーホールに出かけた。仕事が遅くまであったので、後半からしか聴くことが出来なかったが。プレトニョフ指揮のロシア・ナショナル管弦楽団のサントリー公演で前半がベト7で後半が運命。

0907e3839fe3838fe382a4e383abe383b_2 

休憩時間に舞台を見ると、最近では珍しくなくなった「対向配置」。そう、このブログでも何回か紹介した、バイオリンが第一、第二と左右に分かれる配置のことである。これは、ビブラートを抑えたピリオド奏法で、颯爽と演奏する、流行のスタイルかと思い込んでしまった。

ところが、である。全く期待を裏切られた。といって、ドイツ伝統風の重々しい解釈でもない。なんと言ってよいか、本当に「変な」音楽なのである。第一楽章の出だしからして、なんて遅く、重いのだろうとビックリさせられる。確かに全体に遅めの運びなのだが、テンポがくるくる変わる。さらに、オーケストラ、特に弦楽器がテヌートかつマルカートで、これでもかと弓を一杯に使って弾きまくる。インテンポで推進力に富んだ音楽に慣れた耳には、なんとも居心地の悪い演奏なのである。

しかし、ここまでやりたい放題徹底してやられると、すごく楽しくなってくる。指揮ぶりは無骨で細かな指示も出していないように見えるが、聴こえる音楽は変幻自在なのである。チャイコフスキーなどお国柄のロマンチックな曲目ではフィットすると思うが、ベートーヴェンの音楽とは似て非なるもの。噂によると、逆にロマン派はインテンポで指揮したりするらしいから、彼には時代考証なんて関係ないのだろう。作曲家○○の音楽ではなく、まさにプレトニョフの音楽である。ここまでくれば、喝ではなくアッパレを差し上げたい(笑)。このブログのサイドバーのMixpodを聴いてほしい。

それにしても、オケはやはりロシアのオケ。なんとも音がデカイ。金管はいうに及ばずだが、弦楽器の隆々たること。特にチェロの豊かで豪放な音、ビオラの深い響きは日本のオケでは絶対に聴けない。快感そのものである。アンコールに、バッハの「G戦上のアリア」が演奏されたが、通常の編曲とは異なり(ストコフスキー編曲?)、チェロを思いっきりフィーチャーしたもの。おそらくこのオケのチェロが自慢なのだろう。

こんな演奏はめったに聴けるものではない。感動はしなかったけど、めちゃくちゃ楽しかった。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年7月 4日 (土)

食の細道

芭蕉を訪ねる山形・仙台旅行は、うまいもの旅行でもあった。各地の名物を口にするのも「口福」なのである。題して「奥」ならぬ「食の細道」。

Photo Photo_2

月山の麓の山菜料理「出羽屋」。http://www.dewaya.com/main.html

ここの山菜尽くし=ふるまい料理は圧巻。10数種の山菜が食卓に繰り広げる饗宴は素晴らしい。どれも素材の味を生かした薄味で、微妙な滋味を食べ比べる楽しみがある。女将によれば、山菜は地元住民が普段口にしているものなので、先代の創業者が料理屋を始めたとき、「頭がおかしくなったのでは」と噂されたそうである。それが、時代が変わりいまや山菜は貴重品。我々のように遠く首都圏からこれを目当てに旅行者が訪れるようになった。まさに先見の明があるというべきか。

Photo_4 Photo_3

寒河江は「さくらんぼ」の名所。チェリーランドという土産物屋では、「さくらんぼカレー」なるものを売っていた。どんな味なのだろう?さくらんぼアイスも美味であった(写真はさくらんぼとお米のアイス)。

Photo_5 Photo_6

昼の山菜料理でノックアウトされたので旅館での夕食をキャンセルし、天童の蕎麦屋=「水車」に行く。連れは山形そば。山形そばも様々だが、概して太くコシのある田舎そばが主流。東京の更科や藪を食べなれている舌には、ちょっと苦しいかも。しかし、100%そば粉手打ちの田舎蕎麦は、豪快でたいへん満足感がある。私はこの店が発祥?といわれる鳥中華。もともと蕎麦屋のまかない食だったらしいが、あまりの美味しさに看板メニューになった。この店は地元の客が多いようだが、二人に1人はこの鳥中華を注文していた。おそらく、そばつゆがベースになっていると思うが、甘みがかったスープがとても旨い。

Oke_2 

翌日の松島では鮨を食した。桶ちらしが有名なようで、カウンターの隣では若い女性3人組みが苦闘していた。我々はフツーの鮨を食す。観光地価格なのか、ちょっと高め。

Photo_7 Photo_8

夕食は仙台駅に隣接したファッションビルの地下のレストラン街で長男と。伊勢屋というステーキが主体のお店だが、私は折角だから仙台名物牛タン定食。編み焼き、コロッケ、シチューなど牛タンをつかった料理に舌鼓を打った。別注文のガザウニのとろりとして旨かったこと。

番外編として「ずんだシェイク」。暑さでいささか疲れた体には甘いものがピッタリ。

Photo_9

音楽ブログランキングここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月 1日 (水)

山寺の和尚さん

ダガヂク ダガヂク ダガヂク エイホホー

山寺の 和尚さんは 毬はけりたし 毬はなし

おなじみの山寺の和尚さんの歌詞である。いや、この山寺ではなく、山形の山寺(立石寺)に行ってきた。

インドに出張したのはかれこれ3週間前45℃にもなる猛暑で、はやくも夏バテ(笑)。帰国してもなにもする気にならず。そしてすぐ株主総会などなど・・・・忙しくてすっかりブログもご無沙汰していた。

インドの話は追々書くとして、先週土日を使って、山形・宮城小旅行に行ってきた。仙台に転勤した長男の住居を訪ねるのが目的だったが、折角だから観光も。思い立ったのが一週間前、しかも山形は一年で一番混み合う「さくらんぼ」のシーズンで、旅館も新幹線も満室・満席。旅館は幸いキャンセルが出たので、上手く天童温泉の旅館に滑り込んだ。新幹線も、なんとか東京朝時30分の臨時列車に指定がとれて胸をなでおろした。自宅を朝4時半起きだったから、土曜日は18時間、一日のうち四分の三も起きていたことになる

雲の峰 いくつ崩れて 月の山(芭蕉)

地元銀行の友人に勧められて、山形から高速バスで40分の間沢という月山麓の山菜料理店で昼食さくらんぼの寒河江、天童を経て山寺まで足を伸ばした。山寺は奇岩怪石の絶壁に立つ名刹で、芭蕉の句でも有名。一度は訪ねてみたいところだった。

閑さや 岩にしみいる 蝉の声

Photo Photo_2 Photo_3 Photo_4

やや離れた丘から望む山寺全景は素晴らしい。しかし、頂上にある奥の院まで辿るには、1015段もの石段を登らなければならない。車の道もリフトもない。まさに足が勝負である。しかも土曜日は33度もの真夏並みの猛暑。奥の院にたどり着いたときは、汗びっしょり、息も絶え絶えであった。でも、途中に風情あるお堂が点在し、そこに立ち寄って体を休めながらなんとか踏破した。

この日は、天童温泉に戻り一泊

翌日は仙山線で仙台へ。山形と仙台は思いのほか近く、電車で一時間程度で到着してしまう。私のアイデアは、あおば城址など市内観光をする予定だったが、連れが松島観光を提案。時間に余裕があるようなので、仙石線で松島海岸へ。斎太郎節で知られる国宝「瑞巌寺」を観光。伊達政宗のパワーがいまだ満ち満ちている本堂の壮大さに目を見張った。また、参道の杉並木も見事。その後、松島島巡り観光船でゆったりとした時間を過ごした。

Photo_5 Photo_6

これも芭蕉の句

松島や ああ松島や 松島や

Photo_7 Photo_8

仙台に戻り、長男の住居を訪ねる。夜は駅地下のレストランで久々に長男と一緒に食事をとり、台発時過ぎの新幹線で東京に向った。

乗り継ぎが非常に効率的に出来たので、強行軍にもかかわらず充実した土日であった。そして、芭蕉の行路を逆行したのも趣があったたまにはこうした小旅行で心身ともにリフレッシュしてみたいものだ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月 9日 (火)

インドに行ってきます

明日から一週間インドに行ってきます。

もちろん、仕事。いまは暑季→雨季であまり良いシーズンではないらしいが、仕方がない。バンガロール→デリー→ムンバイと回るハードスケジュール。

このブログもしばしお休みです。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月 6日 (土)

熱狂の日 再び

教育テレビの「藝術劇場」で今年のラフォルジュルネ(熱狂の日)の特集をやっていた。

この番組をみて驚いた。テレビ番組で4つのコンサートが紹介されていたが、このうち2つが、私の聴きにいった演奏会だった。具体的には、ビオンディのヴィヴァルディ「四季」。バーバラ・ヘンドリクスのペルコレージ「スターバト・マーテル」。いずれもこのブログで紹介している。

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-6e63.html

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-9f99.html

あまたコンサートがあったなかで、この確率は我ながら凄いと思う。自慢話ではないけれど、私の選曲眼もなかなかのものでしょ(笑)。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月28日 (木)

深大寺といえば・・・・・

深大寺といえば・・・・・・蕎麦ですかね。いや、今日は深大寺に薪能を観に行きました。

私の友人が、某大手企業のオーナーさんの知り合いで、この会社が主催している薪能だった。このオーナーさんは、ベンチャー企業の育成に力を尽くされた方で、私の仕事とも関係がある方です。私の友人からオーナーさんをご紹介いただきましたが、仕事の上でもご縁ができるとよいと思います。

薪能とは、神社仏閣などの野外で行われる能楽。お能は通常専用の能楽堂で行われるが、昭和40年代ころから全国各地で薪能が行われるようになった。文字通り夜間かがり火のもとで演じられるお能は、幽玄な趣があって素敵である。深大寺では今年で18回を数えるというから、古い部類に入る。残念ながら今夜は大雨で、急遽お寺の本堂で演じられることになった。

このブログでも何回か書いているように、私は大学時代能楽のクラブに入っていて、それ以来時々お能を観にいっているが、ここ2年くらいご無沙汰していて、本当に久しぶり。やっぱり、お能は素晴らしい・・・・合唱も良いが、能楽は日本人の血が騒ぐのである。

Tn8kiyotsune04_2 Tn8kiyotsune02 

演目は「清経」。能楽にはいくつかのジャンル(類型)があって、この能は二番目=修羅物に属する。修羅というのは、仏教の六道輪廻の一つで、生前戦いに明け暮れた人間が陥る苦しみの世界で、修羅道でも争いにさいなまれる。主人公は平家の武将「平清経」だが、源平の戦いの報いで、死後も苦界にとどまっている。

というと、なにか壮絶なお能のようにも見えるが、実はこの演目は夫婦の細やかな情愛がテーマとなっている。源氏に追われて入水自殺をした清経の亡霊が、哀しむ妻の前に現れて、自分の最期の様子を再現する。妻の悲しみとそれを慰めよう?とする清経の亡霊の掛け合いがなんともしみじみとした能なのである。

お能の武将には平家と源氏の両方を扱った演目があるが、その内容の深さは平家の演目が断然勝っている。「滅びゆくものの美しさ」を愛でるのは、やはり日本特有の美学であろう。そして、源氏の荒々しい武将ではなく、平家は「公達」といわれるように、文武両道に秀でた貴族的なインテリジェンスが、お能の題材にピッタリなのである。

久しぶりに日本文化の粋に触れた夕べであった。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (12)

2009年5月27日 (水)

合唱団はお呼びじゃない?!

前回ブログの続きである。合唱団がいらないというのは、大問題である。

バッハの宗教曲を聴いていて、近年の流行は合唱の各パートを1人で歌う・・・場合によってはソリストを兼ねるという、大変な演奏方法が定着しつつあることである。

これをOVPPという。ブランデーのVSOPではない(もう死言だが)。One Voice Per Partの略である。ラフォルジュルネ(熱狂の日)のリチェルカーレ・コンサートの演奏はまさにこのOVPP。最後に聴いた、鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパンによる「ヨハネ受難曲」でも、各パート1人ではなかったが、合唱はパートあたり3人程度に刈り込んでいた。

なんで、こんなことになったのか?最近の不景気の影響で演奏にもコストカットが求められているのか・・・・・いや、ちゃんと理由があるのである。一昔前までは、バッハの宗教曲では大人数の合唱とソリスト、そしてちゃんとしたオーケストラがついていた。ところが、前回のブログでも述べたように、作曲当時の演奏をそのまま再現するという潮流が大きくなり、必然的にオーケストラも声楽も少人数になってきた。バッハでも、これまた有名な「ブランデンブルク協奏曲」もオーケストラ各パート1人の演奏形式も当たり前になってきている。

考えてみるに、バッハの複雑かつ絡み合うポリフォニーの処理、繊細な表現、言葉の明瞭性などを重視すれば、各パートの数を減らしたほうが良いことは明らかである。我々、丸の内合唱団がモテットを歌った際も、特にあの気の遠くなるようなメリスマを100人規模の合唱団で歌うことの難しさを、いやというほど味わった。なかでも言葉の表現力は大切で、音楽学者の礒山雅さんは「バッハのカンタータは単なる音楽ではなくて、人間として生きるうえでの宗教的なメッセージである。それには言葉を重視した演奏でなければならない。」「そして、それ以上に大切なのは、歌手一人ひとりが人間的なレヴェルで音楽とかかわりを持つこと。演奏者全員が親密な関係をもち話し合いながら音楽を作ってゆくことだ」と言っています。大人数の合唱では、そうした目標の達成がなかなか難しいのは確かなのである。

メリスマで思い出したが、最近は例えば、ホホホホとかハハハハと各音符を切って歌うのは古めかしい歌い方らしい(合唱団の団友の話)。別の合唱団の指導者も、そういう歌い方は間違いだと指摘していた。熱狂の日でも、プロの歌い手はメリスマは各音符の音価を保ちながら「レガート」で歌っていた。我々、マルガツにこのように歌えといわれても難しいだろうが・・・・・。

J_rifkin

さて話を戻すと、こうした傾向に拍車を掛けたのが、音楽学者であり指揮者でもあるジョシュア・リフキンの考証である。リフキンはバッハの時代、ライプチッヒの合唱隊は様々な理由で人数を確保する事が出来ず、原則各パート1人で歌っていたことを突き止めた。それどころか、ソリストと合唱の区別がない・・・つまり、オーケストラとソリスト4人(合唱を兼ねる)で演奏したというのだ。これはまだ、定説にはなっていないが、現時点では有力な説として認められている。実は、このOVPPはリフキンが提唱した演奏形式で、日本ではリフキン方式とも呼ばれている。実際、リフキンは「ロ短調ミサ曲」でこのOVPPを実演している(CDもある)。

マルガツがアンコールで歌った「主よ人の望みの喜びよ」はリフキンの演奏ではこうなります。http://www.youtube.com/watch?v=Q2MVohd9yJE

いずれにしても、各パート1人なんてことになると、合唱団の出番はなくなるし、仮に歌うことになってももの凄いプレッシャーだろう。以前、マルガツの練習でバスパートが私1人しかいなくて、大変往生した。OVPPなんてとてもじゃなけれど、勘弁、勘弁。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

女性は教会で黙すべし

大分間が空いてしまったが、ラフォルジュルネ(熱狂の日)の続きを書きたい。

今回の一連のコンサートで、一番驚き、最も感激したのは「カウンターテナー」の上手さであった。カウンターテナーとは成人男性が主にファルセット(裏声)を使って女声の音域(アルトが多い)を歌うこと、あるいは歌う歌手のことである。

わが国でこのカウンターテナーが広く知られるようになったのは、「もののけ姫」を歌った米良美一を嚆矢とする。もちろん、米良はもともとクラシックの歌手なのだが、最近は合唱を聞きにいっても、男声がアルトに混じって歌っているのをチラホラ見かけるようになった。バッハのカンタータ、ミサ曲などの宗教曲でも、いまやカウンターテナーが大活躍、女声歌手(主にアルト)の存在を脅かすまでになっている。

この背景には、1970年代からバロック音楽を席巻しつつある、古楽器演奏の潮流がある。例えば、バッハを演奏する際には当時の楽器=古楽器、オリジナル楽器を使うという流れである。確かに現代楽器はロマン派の時代を経て、大きく、そして輝かしい音が出るように改造されたもので、バッハの時代に演奏されていた音とは大きく異なる。楽器そのものばかりか、ピッチを低く取ったり、演奏方法もビブラートをほとんど掛けない「ノンビブラート」の演奏が主流になっている。

となると、必然的に声楽も当時のオーセンティックなものが求められるようになってくる。実は、当時ヨーロッパ教会では「女性は黙すべし」という、今考えるととんでもないシキタリがあって、歌を歌うことが出来なかったらしい。まあ、男尊女卑の考え方は洋の東西を問わずあったわけで、芸能では日本も能楽や歌舞伎は女性ご法度であった。したがって、教会では少年がボーイソプラノとして女声パートを歌っていたが、少年では表現力に限界があるため、アルト部分を成人男性が裏声で歌うようになったのである。

Art_028

現代の古楽演奏が行き着くところ・・・・・バッハの時代の演奏を再現するという目的には、カウンターテナーがなくてはならないのである。10年以上前までは、カウンターテナーも少数しかいなかったし、日本でも好奇の目で見られていたことは確か。しかし、今回の熱狂の日では、素晴らしいカウンターテナーに接することが出来た。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手でもあるフリップ・ピエルロ(上記写真)率いるリチェルカーレ・コンソート(ベルギー)の演奏で聴いた、カルロス・メナその人である。

演奏曲目は、

①ヨハン・クリストフ・バッハ:ラメント(哀歌)「ああ、私の頭が水で満ちていたら」

②バッハ:カンタータ第4番「キリストは死の縄目に繋がれたり」bwv147

③バッハ:カンタータ「主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ」bwv131

Menacarlos2

リチェルカーレ・コンソートの演奏は、しみじみとした情感に満ち、深い精神性をたたえた演奏。本当に良いものを聴いたなという感想であった。特に、カウンターテナーのメナの声は素晴らしい。正直、冒頭で採り上げた米良美一の「カウンターテナーってこの程度」という概念を大きく打ち破る大変立派な声なのだ。言葉では言い表せないもどかしさああるが、芯のある伸びやかな声。音量も十分でノンビブラートの艶やかな音の塊が、聴く者の胸をついてくる。それでいて押しつけがましくない端正な表現。中性的という表現は当てはまらないが、男性にない色気も感じさせる、なんともいえない生理的に美しい声なのだ。

このコンサートの前に、ペルコレージの名曲「スターバトマーテル」(悲しみの聖母)を聴いたのだが、ソリストは著名なバーバラ・ヘンドリクス。しかし、その大きなビブラートには正直幻滅した。60歳という年齢のせいもあろうが、女声にはビブラートが付きまとう。宗教曲はやはりノンビブラートの清純な声で聴きたいものである。この点、カウンターテナーでは、ほとんどビブラートがかからず、清明な神の世界に遊ぶ雰囲気に浸れるのである。

このあと、書きたかったOVPP・・・VSOPじゃありません(古い!)、One Voice Per Partについては、長くなったので次回に回します。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年5月19日 (火)

傑作!天使と悪魔

話題の映画「天使と悪魔」を観にいった。

P0941

いやー、面白かった。シリーズ一作目の「ダヴィンチ・コード」も良かったが、「天使と悪魔」も素晴らしい映画だ。前作は読んでから→観るだったが、新作は読まずに→観るで、ストーリーも分からず。しかし、息もつかせぬ展開で、アクション場面も多く、ハラハラドキドキ。数時間の出来事を追ってゆくストーリーで、人気ドラマ24(トゥエンティー・フォー)にあやかったのではなかろうか。スジを話してしまうとネタバレの危険があるのだが、最後のドンデン返しが凄いとだけ申し上げよう。

そもそもイコノグラフィー(図像学)の好きな私としては、トム・ハンクス扮するラングドン教授の専門分野が、宗教象徴学ときたひにゃ堪えられません。これは、ダヴィンチコードも同じ。さらに、四大元素に倣った殺人事件が連続するのだが、これはミステリーでいうところの「見立て殺人」。横溝正史でおなじみのアレです。かつてミステリーファンだった私にとっては大変なご馳走です。

P050521_16

そして、私がこの映画を好きになった最大の理由は、ローマの歴史建造物がふんだんに登場すること。とりわけ、イタリアバロック建築の寵児、ベルニーニの建築・彫刻が謎を解く鍵になっていることである。ベルニーニの作品は大好き。かれこれ10年近くなるが、ツアーでイタリアに旅行した時に、自由時間を利用してベルニーニやボロニーニといった、バロック建築・彫刻の粋を観て回ったほどなのである。

P050521_13 P050521_14

映画「天使と悪魔」には、このベルニーニの建築が沢山出てくる・・・・・というか、それほどローマはベルニーニの作品で満たされている。当時のローマ法王をして「ベルニーニはローマのためにある」と言わしめたくらいである。映画でも、ヴァチカンのサンピエトロ広場の列柱回廊、サンピエトロ大寺院のバルダッキーノ(天蓋)、ナヴォーナ広場の「四大河の噴水」、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会・・・・などなど、昔の旅行が思い出されてとても懐かしい。ヴィットリア教会には彼の代表作である「聖女テレーザの法悦」がある。金の矢を持った天使がテレーザの心臓を突き刺し、テレーザはその激しくも甘美な痛みに恍惚となる・・・・という極めて宗教的でありながら女の性を感じさせる彫刻は非常に印象的である。

Teresal_2 Teresaup3 

もう一つ挙げると、ヴァチカンの「コンクラーベ」。ローマ法王が死去した後、世界各地の枢機卿がヴァチカンに集まり、次期法王を選挙するカトリック信者にとっての一大イベント。カトリック・シンパの私にとっては興味津々である。そして、これも大好きな?秘密結社である。以前このブログでもフリーメーソンを採り上げたことがあるが、今回出てくるイルミナティはフリーメーソンの弟分(後継者)に当たるのだ。

前作のダヴィンチコードの時も、「宗教観に反する」としてカトリック教会の大反対があったのは記憶に新しいが、それに懲りず、今回の「天使と悪魔」はなんと大本山のヴァチカンに乗り込み、そこを舞台にしているのだからアッパレというほかない。案の定、教会からは撮影を拒否され、多くの建造物はセットを作ったという。モーツァルトがミサ曲を一度聴いただけで暗譜した・・・・いやそれ以上にミケランジェロの壁画で有名なシスティーナ礼拝堂のセットなどは、大変な労力をかけたに違いない。それだけをもってしても、驚きを禁じえない。

いずれにせよ、「天使と悪魔」は私の好きなものが満載で、面白くないわけがない。そうでない人でも、ストーリー展開だけで十分観る価値があると思う。

最後に、ネタバレにならないように・・・・・・最初の5分で怪しいと思っていた人物が、犯人だった・・・・・どんでん返しの末の結果論ですがね(笑)。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

現代浪漫主義

日曜日に日本の現代音楽を聴きにコンサートへ行った。

現代音楽は難しくて、眠くなるあるいは寝させてくれない(笑)曲が多いが、今日の曲は現代浪漫主義。とても良かった。会場はミューザ川崎シンフォニーホール。東京交響楽団のコンサートです(指揮:大友直人)。

Otomo3

曲目:
    *坂本龍一/映画「戦場のメリークリスマス」テーマ曲
    *三枝成彰/NHK大河ドラマ「太平記」より
    *三枝成彰/映画「優駿 ORACION」より
    *服部隆之/TBS日曜劇場「華麗なる一族」より
    *羽田健太郎 交響曲「宇宙戦艦ヤマト」

これがクラシックかと訝しがる向きもあるかもしれませんが、れっきとしたクラシック。坂本龍一(東京藝大)、三枝成彰(東京藝大)、服部隆之(パリのコンセルヴァトアール)、羽田健太郎(桐朋ピアノ科)とくれば、れっきとしたクラシックをベースにした作曲家たちです。三枝さんにいたっては、80年代はまさに前衛現代音楽の作曲家だったが、90年代になって現代浪漫、ネオ叙情派ともいえる作風に大転換したのが大変興味深い。

「戦メリ」は乾いた叙情が涙を誘い、「太平記」「優駿」はいかにもドラマ・映画音楽らしく優しいメロディラインと豪勢な盛り上がりを兼ね備えた名曲。やっぱり、日本人の心情のツボにぴたりはまる美しさです。新世代の旗手である服部さんの「華麗なる」は凝ったつくりの曲で、ドラマの登場人物の葛藤を描いて余すところがない。

お目当ては東響コーラスでもあったのだが、流石によくトレーニングされていて、声の均一性、厚みが素晴らしい。ヴォカリーズだけしかなかったのが残念であった。

Images

さて、ハネケンの「ヤマト交響曲」は1時間にもなんなんとする大曲。宇宙戦艦ヤマトはポップス作曲家の宮川泰によるものだが、このモチーフをハネケンは大叙事詩交響曲に仕上げた。

申し遅れたが今回のコンサートは、東響の東京藝術劇場シリーズ100回記念。曲間に大友さんの説明が入る異例な展開。大友さんから「普通ならマーラーやエルガーの合唱付の大曲を選ぶのだが」というコメントがあったが、どうやら東響の前身の東宝交響楽団が映画音楽を演奏していたことから創立時のDNAが脈々と受け継がれていること、そして大友さんがこの「ヤマト交響曲」の初演者であり、とても思い入れがあることが選曲の理由のようだ。

大友さんは、25年前にN響を指揮して初演しているが、このときのハネケンの精魂を込めた作曲振りなどのこぼれ話を披露していた。解説の途中で、先年、働き盛りに亡くなったハネケンのことを思い出して、思わず涙ぐむシーンもあって感動的であった。

曲は大変立派なもので、ヤマトのメロディーが全編にちりばめられ、ある時はチャイコフスキー風、またあるときはブルックナー風の音型が顔をだしてとても楽しい。ハネケンの才能がフルに発揮されている。特に聴きものは第4楽章で、なんとピアノ(若林顕)とヴァイオリン(大谷康子)のドッペル・コンチェルトに仕立て上げられている。ハネケンは自らがソロを弾くためにピアノを挿入したのだが、このピアノが素晴らしい。両手が縦横無尽に鍵盤を走る楽想は、ラフマニノフもかくやと感じるほどのグランド・マナーである。ハネケンは大変なヴィルトーゾとして名を知られていたが、ピアノの若林にハネケンが乗り移ったかのような熱演で、感動的であった。

こうした素晴らしい現代日本の浪漫主義音楽に、もっと光を当ててほしい。そして、録音され広く世の中に聴かれることを願ってやまない。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月10日 (日)

来年のラフォルジュルネは?

今年が終わったばっかりなのに、もう来年の話ですか?

でも、今のうちから決めておかなければいけないのですよ。せっかちに見えますが、マルガツ団長さんの頭もこのことが心配のようです。いずれにしても、来年のメインテーマはショパンで決まり。ただ、ショパンの合唱曲は聞いた事がありません。

となると、周辺企画で探すことになります。本家のフランス ナントでは、ショパン+ロマン派・・・具体的にはメンデルスゾーン、リスト、シューマンに決定したそうですが、日本では未定とのこと。メンデルスゾーンは初期ロマン派ですから、ちょっとショパンとは違うような気がします。でも、シューマンは確実でしょう。彼なら「流浪の民」とか合唱曲があります。ブラームスが入るとグッと厚みを増すのですがね。

団長さんは、オーケストラつき合唱曲を沢山歌うのがライフワークのようですから、ひそかにメンデルスゾーンを狙っている。でも、エリアとかパウロとかのオラトリオはハードル高いですよ。

まあ、作曲家がどうなるかは主催者任せになってしまいますが、私にはアイデアがあります。ショパンでも大丈夫。ただし、アンコール曲がふさわしいと思いますが。

皆さん平原綾香がショパンの歌を歌っているのはご存知ですか。昨年末の紅白でも歌いました。ショパンの歌といっても編曲です。「ノクターン」という曲と「カンパニュラの恋」という二曲。実は同じ曲で、前者が英語バージョン、後者が日本語バージョンです。ノクターン20番(遺作)に歌詞をつけたものですが、なかなか良くできてます。この曲、映画戦場のピアニストでも採り上げられましたね。平原綾香はユーチューブご覧ください。

ノクターンhttp://www.youtube.com/watch?v=jevi3-vIbkk&NR=1

カンパニュラの恋http://www.youtube.com/watch?v=3Cal83Z6CRk&feature=related

原曲http://www.youtube.com/watch?v=eRqURo6FugA&feature=related

この調子で行けば、どんどん編曲できるかも。きっと、「別れの歌」なんかは既に合唱曲に編曲されているのでしょうね。

なんでも来い!=柔軟性の高さが丸の内合唱団の持ち味ですから。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年5月 7日 (木)

ルネ・マルタンに会いました

丸の内合唱団公演のお礼に、団長と一緒に関係者に挨拶に行った。

ノーアポなので会えなければ仕方ないと思いつつ、まずスポンサーさんの部長さんのところへ。生憎離席中で名刺を置いて退出。続いて、スポンサーさんのマネジメント会社へ。担当の方の機嫌は上々。いつもは忙しくてイライラしていることが多いのだが、さすがに大イベントが終わったて、ほっとしているからでしょうか?秋の藝大イベントのこともお願いして引き上げた。

驚いたのは梶本音楽事務所(社名変更でKAJIMOTOに)。幸い担当のIさんがいらしたので、しばし歓談。マルガツのフォーラムでの公演は迫力があってとても良かったと褒めていただいた。合唱団の公演が珍しかったこと、出演者が一番の大人数で見栄えも十分。さらに集客度合いも観客の反応も良かったようだ。前のブログにも書いたことだが、プロから評価されて、こんなに嬉しいことはない。ギリギリまで練習した成果だろう。

そのあと、最近知り合いになったS顧問(元副社長)さんと社長室でお話を。Sさんは私と同じ大学の先輩に当たり、オーケストラ部(私は謡曲部だが)。偶然Sさんと共通の友人が複数いて、数ヶ月前にSさんと会食したばかりである。S顧問いわく、「東京国際フォーラムに文化の香りを持ち込みたいとの想いからラフルジュネをはじめた」のだと。「熱狂の日が終わってしまうと、フォーラムもひっそりとしてしまう。なんとか街をもっと活性化したい」とも言っていた。まさに、我々マルガツの目指す、「丸の内から文化=音楽を発信する」発想と同じで、大変共感を覚えた。スポンサーさんの部長さんとも親しいようで、しばし噂話に花が咲いた。

これも偶然で驚いたが、スポンサー会社の担当役員さんとS顧問は親しい間柄だということなのだ。なんと、同じ大学のオーケストラ部に所属していた・・・・・ということは、担当役員さんは私の大学の先輩でもある。Sさんのご紹介で担当役員さんにご挨拶に行こうと思う。

Kajimoto_2

そうこうしているうちに、梶本の社長さんが部屋に入ってこられしばし歓談。これがカッコいいんだな(写真)。経営者というより芸術家の風貌。長髪で顔立ちもイケメン(上記写真失礼しました)。梶本社長さんからは、ラフォルジュネ・ジャポン誕生の経緯や、最初は東京都や企業から受け入れられなかったエピソードなどをお聞きし、しばし歓談。しばらくすると、なんとラフォルジュネの総監督ルネ・マルタンが入ってきたのです。マルタンに挨拶、握手までしてもらい感激。来年はショパンとロマン派(本家のナントではショパン+メンデルスゾーン、リスト、シューマン)ということなので、よろしくお願いしますと頭を下げ梶本を後にした。

Martin

皆さん、丸の内合唱団も将来梶本さんにお世話になるかもしれませんよう。

さて、昨日のブログの続き。5月4日の1時間目(11時から)の演奏の紹介をしたい。ファビオ・ビオンディの指揮・独奏ヴァイオリンとエウローパ・ガランテによるヴィヴァルディの四季である。今回の熱狂の日の聴きものの一つ。というのも、ビオンディは、1990年代初頭に古楽器によるこの四季の演奏で一躍名を知らしめたからである。

Biondi

ヴィヴァルディの四季というと、古くはフェリックス・アーヨの艶やかな独奏バイオリンとイムジチ合奏団のイタリア美の極致のような流麗な演奏や、ドイツのカール・ミュンヒンガー指揮シュツトガルト室内Oの玲瓏たる構成美の演奏が思いうかぶ。ビオンディの演奏は、それらとは全く次元の違う、ロック音楽といってよいほどの過激な演奏なのだ。即興性の極致、ダイナミズムの幅は想像を絶する。まずはMixPod6曲目、7曲目を聴いてほしい。6曲目「冬」第一楽章の不気味な出だしからして只者ではない。独奏バイオリンのテーマが出てくると、破天荒そのもの。トゥッテイになるとロック音楽である。

7曲目の「夏」のプレストは、まさに夏の嵐。嵐が吹き荒れていて全てのものを吹き飛ばしてしまう。ジェットコースターに乗っているような眩暈さえ覚える。

実演を聴くと、ビオンディは弓を短く持ち、激しいボウイングで疾走するように演奏する。細かいことには拘らずに、即興性を重視しているように見える。オーケストラも一癖も二癖もあるアーティキュレーションで、ビオンディは美音(笑)を犠牲にしてまでも、あくまでも躍動感に富んだシュールな演奏をしたいようだ。従来の穏やかで豊かな演奏の対極にあるので、一般的に親しまれている春や秋よりも、どちらかというと地味だった・冬の演奏に強烈なサーチライトを当てるようなイメージだ。触れれば火傷をするような、なんとも刺激的な演奏に大満足だった。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月 6日 (水)

MixPodを導入・・・熱狂バッハその1

音楽ブログランキングのブログを覗いていたら、MixPod.comという面白いツールを発見、私のブログのサイドバーに貼り付けることにした(左のiPod風のツールがそうです)。

日本語版のサイトがないので、結構苦労したが、なんとか貼り付け成功。自由に楽曲を検索して、そのまま貼り付けられるのが素晴らしい。私のように、楽曲をネタにするブログでは、曲の紹介に大変便利である。興味のある方は貼り付けてみてはいかがでしょうか。細かい設定が分からなくて、ブログを開くとオートプレイになってしまい読者には申しわけありません。

ということで、早速MixPodを活用して、5月4日にラフォルジュネ(熱狂の日)で聴いたバッハの感想を書いてみよう(MixPodは既存の録音で当日の演奏ではありません・・・念のため)。11時からのヴィヴァルディは明日以降に書くとして、13時からの日本人独奏者によるバッハの協奏曲はとても楽しかった。

一曲目はブランデンブルク協奏曲第三番(第一楽章=MixPod一曲目)。これは協奏曲といっても、独奏楽器を持たない弦楽器だけのコンチェルトグロッソ。ポリフォニックな旋律の掛け合いがまことに心地よく、生理的な快感を感じる。まるで、スポーツカーで疾走しているような感覚。バッハの現代にも通じる革新性を感じさせる名曲である。演奏はイプ・ウィンシー指揮の香港シンフォニエッタが好演。

次がヴァイオリンとオーボエの協奏曲BWV1060a(第一楽章、第二楽章=MixPod2曲目,3曲目)。私の大好きな曲である。バッハは意外にもヴィヴァルディやバッハ自作の曲を編曲して作曲することも多かったが、この曲はバッハの二台のチェンバロ協奏曲の原曲と目されるもの(楽譜は現存しない)。私が中学生の頃だろうか聴きにいった、ドイツオーボエの名手、ヘルムート・ヴィンシャーマンが率いるドイツバッハゾリステンの演奏会でも取り上げられた。その時、躍動感と愉悦感に満ちたヴィンシャーマンの演奏に聞ほれてしまったことを思い出す。ヴィンシャーマンのモットーはlebendiges konzert(生きた演奏)であった。

ちなみに、ヴィンシャーマンは宮本文昭の先生で、宮本もドイツバッハゾリステンで吹いていたこともある。生き生きとした第一楽章に続き、第二楽章の嫋々としたヴァイオリンとオーボエの掛け合いは桃源郷に遊ぶかのような趣がある。当日のソリストはヴァイオリンが渡辺玲子、オーボエが新日本フィル首席の古部賢一。渡辺は世界的に活躍する逸材。もともと切れ味の鋭い現代的な演奏を持ち味とするが、この曲ではビブラートをたっぷり掛けて叙情性を強調していた。古部は宮本引退後のわが国を代表するオーボエ奏者。ホールの音響のせいもあってかやや線が細い感じだったが、美音に聞ほれた。

最後はおなじみの管弦楽組曲第二番(MixPod5曲目)。フルート協奏曲ともいえるような華麗で典雅な組曲である。ソリストは髙木綾子。イエローキャブの小池栄子に似た(と感じるのは私だけではあるまい)美貌・ナイスバディの人気フルーティスト。彼女はその容姿からビジュアル系と誤解されがちだが、20分を超えるこの大曲を華麗な技巧と音楽性で吹きぬいた実力に感心した。

Dvc000141

02prof_koike 

このコンサートの選曲はバッハの器楽合奏曲における多様性とレベルの高さを改めて思い知らせてくれる良いものであったし、理屈抜きでバッハを十分楽しんだひと時であった。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 5日 (火)

マルガツ 今後の予定(一部妄想)

丸の内合唱団の今後の予定を私なりに整理してみた(一部妄想)。

Lightopia_043

その前に、ラフォルジュネ(熱狂の日)番外編を少し。今回フォーラム公演については「Artist」の扱いで入場パスが配られた。アーテイストと呼ばれると、とてもよい気分である。なにか上手くなったような、偉くなったような・・・・パスをかけて会場を歩き回ったりした。

1_2 2 

熱狂の日はお祭りだから、記念グッズを買うことにしている。昨年のシューベルトの時は、ラフォルジュネのTシャツを買って、背中に神尾さんはじめソリストさんたちのサインをしてもらった。今回土曜日の箪笥の練習で着ていたやつである。

Lightopia_018

今年はポロシャツを購入。本当は今年のシンボルカラーのピンクがほしかったのだけれど、サイズがなくてブラックに。でも、胸にバッハとロゴの刺繍がついていて、なかなか素敵です。ほかにピンバッジも購入。ある女声団員から、「去年もそんなことしていたわね。○○さんはミーハーですね」と皮肉を言われたが、当たってるだけに返す言葉がなかった(笑)。でも、イベントだから精々盛り上げたいというのが正直な気持である。打ち上げでの下の写真のような演出も面白かった。左下Sさんのうらやましそうな表情も秀逸。

Lightopia_045

マルガツの今後の予定である。例によって現実と妄想が混在しているのだが、私の場合妄想が現実になる可能性が高いので、皆さんお許しいただけるだろうか(笑)。合唱団公式ブログには、おそらく絶対に出ないだろうから(笑)下記日程をしっかり頭に刻んでほしい。

2009年

7月:丸の内「打ち水プロジェクト」に浴衣姿で参加。「ふるさとの四季」を歌い華を添える。

10月30日(金)~31日(土):藝大アーツin東京丸の内のオペラハイライト(仮称)に参加。乾杯の歌ほかを会場と一体になって演出する。

12月中:丸ビルのクリスマスシーズンイベントに出演。大きなツリーの前でクリスマスキャロルを歌う。

12月下旬:テレビ東京「なつかしのメロディー」にフランク永井の歌で出演。

12月31日:恒例ガラコンサートで「第九」を歌う。

年内に丸ビルでFさん・Iさんの合唱婚を挙行。

同じく年内にコブクロの丸ビルコンサートで、男声合唱が協演(女声だけに良い思いをさせていてはダメ)。

2010年

初春:葛飾柴又の帝釈天本堂にてコンサート(葛飾区主催)。

いつ?:神尾音楽祭に参加

3月:マルガツ団員からアカペラユニットが誕生。テレビ番組「ハモネプ」に出演。

5月:ラフォルジュネに参加。テーマはロマン派だから、ブラームスかシューマンあたり。ロマンス・グレー(笑)の男声陣が俄然奮闘。

10月:藝大アーツin東京丸の内に参加。オーケストラ付の本格上演に。

秋:第一回定期公演開催

12月:「第九」演奏後、渋谷NHKホールに駆けつけ、念願の紅白歌合戦に出演。

時期未定:藝大の奏楽堂にてコンサート。藝大さんとの交流が評価され藝大生オケと大曲を歌う。

2011年

ヨーロッパ演奏旅行。

パーラーさんの招聘で、バッハ縁のライプチッヒ聖トーマス教会でモテットを演奏。ウィーンでは王室礼拝堂でウィーン少年合唱団、ウィーンフィル選抜メンバーと協演、シューベルトのミサ曲を歌う。

・・・・・ここまでくると、ちょっと自信ありませんが、ひたすら妄想すれば、夢はかなうのです。このブログをお読みの団員の皆さん。ぜひ良いアイデアやイベントがありましたらお寄せください。

丸の内合唱団は一部の役員が執りしきる合唱団ではありません。皆さん全員で作ってゆく合唱団なのです。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

フォーラムにバッハの十字架が・・・

丸の内合唱団の「熱狂の日」フォーラム公演で、バッハの十字架が出現した。

「あーあ、もうバッハが終わってしまった・・・・・」これがただ今現在の私の心境である。バッハをを合唱で歌ったのは初めて。しかも、団員さんたち共通の感想だろうが、とても難しい。でも、私はバッハの合唱曲が大好きになってしまった。このブログで書いたように、私がバッハファンであることを割り引いてもである。神尾さんが本日の「打ち上げ」で言っていたが、フレーズが耳に残って、後から後から果てなく紡ぎだされてくる感覚がある。そして、あの数学的な(笑)メリスマとシンコペーション。一度はまると危ない禁断の果実かもしれない。

Lightopia_041

国際フォーラムの舞台は初めてで正直不安だった。しかし、いつかはこの舞台に立ちたいと思い、梶本音楽事務所ほか関係各所に働きかけて実現したのだから失敗は許されない。場所は音楽ホールではなく、普段は展示場として使われているところ。丸ビルのような心地よい残響はなく、だだっ広く天井も低い。

Lightopia_042

しかし、観客数は凄い。舞台を取り囲むように、1000人にもなるだろうか、立ち見も沢山いて圧倒される。最初こそホールの雰囲気に慣れるまで戸惑いはあったが、そのうち気にならなくなり、精一杯歌えたように思う。終演後、お世話になった梶本音楽事務所の担当者と話したが、とても素晴らしかったと感心していた。来年も「熱狂の日」に是非出演してほしいとのこと。ルネ・マルタンに推薦する・・・・・云々。おそらく、マルガツといっても、その実力を計りかねていたに違いない。実際に聴いてみてとても好感を持っていただけたようだ。もちろん、我々も自惚れるつもりはない。指導いただいた神尾先生、ミナエ先生のおかげだし、我々の努力の賜物だろう。しかし、プロから評価されるほど嬉しいことはないのも事実である。

Lightopia_023_2 Lightopia_028_2  

さて、表題のバッハの「十字架」である。これも以前のブログで書いたように、バッハは自作のなかに十字架のモチーフをよく持ち込んでいる。十字架はキリストが磔刑された際の刑具であり、キリストの象徴である。宗教曲には欠かせないモチーフであり、実際に十字架という言葉(歌詞)を使うほか、バッハは「十字架音型」を好んで使った。そこで、下の写真を見てほしい。ミナエ先生に撮影をお願いしたものだが、ホール天井にライトが十字架上に配列されている。そのうえ、神尾さんの指揮姿がまるで十字架のよう・・・・・・ミナエ先生はこの瞬間を写したかったそうだが、バッハの思いが成就しているように見えるのだ。偶然といってしまえばたわいない話だが、やはり大バッハの神通力、いや信仰心のなせる業かもしれない。

Lightopia_033

「打ち上げ」もとても楽しかった。本番後の打ち上げは格別である。打ち上げの実行委員のアイデアも素晴らしく、参加者はみな楽しいひと時を過ごせた。最近の若い人の(笑)パーティーって趣向に富んで面白いんですね。最後に、お決まりの?合唱。BWV225を大合唱。私は何回も歌っているうちに、だいたい暗譜で歌えるようになっていたのには、自分に驚いた。でも、BWV227が一番好きだけどね。「So nun der Geist」の休符の沈黙の響き、終結部のメリスマとシンコペーションには歌っていて鳥肌がたつほどである。いつか全曲を歌いたいものだ。

Lightopia_048_2 Lightopia_046 Lightopia_047 

音楽ブログランキングここをクリック

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月 2日 (土)

バッハ 熱狂の日 本番

丸ビル マルキューブで熱狂の日=バッハの本番があった。

興奮していたせいか、早く目が覚めてしまい、集合時間よりも1時間以上早く東京駅に到着したので、直接練習場には行かず、ステージを見に行った。丸ビルでは丁度本日最初の公演のリハーサル。「MASAKI」さんというシドニー生まれの日本人バイオリニストの演奏である。協演の弦楽オーケストラが可愛いちびっ子たち。

Lightopia_0051_3   

バッハの二つのバイオリンのための協奏曲BWV1043をさらっていた。この曲は私も大好きで、バッハならではの精緻な対位法が素晴らしく、パッションを感じる。通常は独奏バイオリンが二丁と弦楽合奏だが、この演奏は、弦楽を二つに分けて合奏するコンチェルトグロッソ(合奏協奏曲)風の編曲。ちびっ子たちのバイオリンがよく揃っていてまことに痛快である。プログラムを読むと、あのスズキメソードでも採り上げていると書かれてあり、ちびっ子たちはその生徒さんたちかもしれない。

さて、我々丸の内合唱団は、箪笥町で約1時間半練習をしてから、丸ビルへ向う。公演は4時半からだが、いつものように公開リハーサルとして4時からみっちり練習した。観客の集まり具合も思ったより沢山いて、上首尾である。写真をクリックすると拡大できます。

Lightopia_007

本番の出来はなかなか良かったと思う。昨年来積み上げてきた練習の成果が出ているのだろう。バッハ、特に今回採り上げたモテットは、8声の曲もあったりして、難渋を極めたが、ここまでやることが出来てマルガツの自信になったと思う。

Lightopia_013

丸ビルの響きは相変わらず素晴らしい。特に今回はパイプオルガンが合唱を包み込むような効果を出していて、我々も歌いやすかったし、本当に大聖堂で歌っているような雰囲気満点であった。お互いの声も良く聴こえ、中でも女声の声が素晴らしく伸びそして響いていた。まるで天使の声の如きである。歌っていて、思わず肌がゾクゾクするような感動的なひと時でした。

聴きに来ていた友人に感想を聞いてみたが、「レベルの高い合唱団」という評価。お世辞半分としても、正直嬉しい。また聞きではあるが、3階から聴くと声部が良くブレンドしていたとか、感動で泣きそうになったという声もあったそうだ。観客の皆様ありがとうございます。

Lightopia_015

NHKでお世話になったKさんがお見えになっていたが、スポンサー関係者の顔が見えなかったのが心残りだった。さあ、明日も頑張ろう。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年4月29日 (水)

バッハ=熱狂の日オープニングコンサート

丸の内に大聖堂が出現した。

私のブログでもことあるごとに、丸ビルマルキューブはヨーロッパの大聖堂の響きがあると絶賛してきたが、それが現実になったのだ。

今日、丸の内合唱団のスポンサーさんにチラシを届けに行く帰りに丸ビルに立ち寄ったら、ちょうど「熱狂の日」と並行して行われる「丸の内ミュージックイベント」のオープニングセレモニーと出くわした。

マルガツ広報担当のMさんとランチを済ませ、コンサートを覗きにいった。客席には総監督ルネ・マルタンの姿も。マルタン氏にご挨拶しようと待ち構えていたのだが、彼は一曲目でそそくさと退出され残念。スポンサーのH部長さんは、相変わらずかっこよく決めている。

ステージも完成されていて、東京メトロポリタン・ブラスの四重奏が演奏された。トランペット2、トロンボーン、チューバの編成でメロウな響きがなんとも心地よい。金管は強奏するばかりではないのだ。ステージ奥中央には、立派な電子オルガン(ロジャース)が鎮座していて、飾りの?パイプもついている。オルガンの上には、普段は厳粛な顔だが、大バッハの笑顔が・・・・・・。

我々丸の内合唱団はミナエ先生のオルガン演奏をバックに歌うんだなあと考えると、俄然やる気が湧いてきた。

St340400

さて、夕方はこれまた偶然にも会社のアドヴァイザーと丸ビルで会食の機会があり出かけたのだが、運よくオルガンコンサートを聴くことが出来た。森武靖子さんのソロでバッハを三曲。教会といえばパイプオルガン、いやー、まさに大聖堂の響きに感激です。一階フロアでも素晴らしいが、三階あたりで聴くと、吹き抜けの空間にオルガンの重厚かつ柔らかな響きが満ち満ちて、なんともいえない感動を味わうことが出来た。マネジメント担当のKさんと短い話をした。音響調整に苦労されたようだが、とても自然な響きである。

St340402

曲目は、まずフーガト短調。小フーガとして有名な小品である。ソプラノから足鍵盤(ペダル)のバスに至るまでクッキリとした旋律が美しい。

二曲目はオルゲルビュヒライン(オルガン小曲集)から第24曲「おお人よ、汝の大きな罪を嘆け」。これは受難節のための小曲だが、高音部に以前このブログでも述べた「十字架音型」が現れ、バス=足鍵盤は半音階的な進行で、キリストのゴルゴダの丘への道行きを現す・・・・という深い悲しみの曲。

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1559.html

最後にパッサカリアハ短調が演奏された。例の「トッカータとフーガ ニ短調」と並び称されるバッハオルガン曲の名曲。15分近い変奏曲の大曲だが、まさに壮麗で重厚なオルガンの響きに魅了された。特に足鍵盤の深く大きな響きは圧倒的である。

このオルガンをイベントのためだけに使うのはもったいないような気がした。丸ビルは素晴らしい大聖堂なのだから、定期演奏会をやってほしいものだ。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月25日 (土)

ふたたび、ひこうき雲

ユーミン(荒井由実)の連載は終わったのですが、もう一度カムバックです。

本日の朝日新聞朝刊、土曜版(be)になんと「ひこうき雲」が掲載されたのだ。「うたの旅人」という連載で、なかなか面白い企画である。作品の多くがエピソードを入れてノスタルジックな採り上げ方をしているのだが、いつもこれを読んでいると「歌は世につれ、世は歌につれ」という諺がリアリティをもって迫ってくる。

さて、話はだいぶ前に田町(芝浦)にあった、アルファレコードの窓無しスタジオから始まる。私は以前芝浦の支店に勤務していたことがあったので、とても懐かしく思えた。今から40年弱前、作曲家の村井邦彦が、当時立教女学院に通っていた荒井由実に「専属作家にならないか?」と口説いたそうだ。この一言をもってしても、彼女の才能の偉大さが分かるだろう。

村井は、彼女のファーストアルバム「ひこうき雲」は「20世紀の日本の名盤ベスト50には入る」と意気込んでいたそうだが、当初はほとんど話題にならなかった。私もブログで指摘したように、彼女の歌はある意味前衛的であり、一部の人にしか理解されない面がある、ということなのだ。今日の新聞で小倉エージは「類がなく、新しいジャンルを自分で作るような革新性があった・・・・・略・・・・・・彼女は画家だったので、曲も絵画的だった」と述べている。絵画的という表現も私がブログで書いている。

だが、結婚して松任谷姓を名乗るころになると、「繊細な言葉や表現に浸かっていたかったのに、ポップに行ってしまった」とそれまでの熱狂的なファンが違和感を感じるようになる。あるファンは「曲がユーミンらしくない」と苦言を呈したそうだが、かけがえのない「私小説的世界」から離れてゆくことが我慢できないファンの気持も、私には分かる。

私もユーミンの歌は好きで、ずっと聴いてきたが、ファンといわれれば、松任谷由実ではなく荒井由実のファンである。決して、貸したレコードが帰ってこなかったからではない・・・・・そう実感させてくれた、今日の新聞特集であった。

音楽ブログランキングここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月21日 (火)

青春アカペラ甲子園

女ポール・ポッズ

K10054889011_01

昨日、友人が教えてくれた「ズーザン・ボイル」という女性アマチュア歌手?。帰宅してユーチューブに見入ってしまった。Britain's Got Talent(ブリテンズ・ゴット・タレント)というイギリスの公開オーデション番組で賞賛された「事件」である。日本のテレビでも放映されたようで、家人も知っていた。

今年の4月11日というから、つい最近のこと。お世辞にも美しいとはいえない容姿の(差別しているわけではない)47歳の中年女性。ステージに登場した時点では、会場の失笑をかっていたのだが、ひとたび歌いだすと、その美しく張りのある声に聴衆は騒然。審査員も万票の最高点を与えた。歌はミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢破れて」。まさに名歌名唱。感動を与えること間違いない。容姿と歌のギャップの大きさといってしまえばそれまでだが、いまや中年女性(彼女はキスもしたことがないという)のドリームストーリーとして、瞬く間に世界中で有名になっている。

http://www.youtube.com/watch?v=hZTmbmvYSm0

この番組を見て、思い出したのが、以前にブログで紹介したポール・ポッズ。同じ番組、同じ設定・・・・・・ちょっと出来すぎているような気もするが、まさに女ポール・ポッズなのであります。男ポッズも女ボイルも、見る者に感動と勇気を与えてくれます。皆さん、一見いや必見ですぞ。

http://muko-dono.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_eb19.html

さて、本題に入ろう。最近は会社で嫌なこと、疲れることがまとまって起こっていて私は元気がない(Oさんのせいではありませんよ)。久しぶりに、早く帰宅して食事をしながらテレビを見ていたら、面白い番組をやっていた。「青春アカペラ甲子園」。いろいろなアマチュアのユニットが登場して、アカペラで歌い、出来を競うというユニークな番組である。前身の「ハモネプ」から数えると7回目になる歴史ある?番組とのこと。

アカペラというとゴスペラーズを思い出すが、単に声部が分かれた(例えば混声四部)ユニットではなく、ボイスパーカッション(ボイパ)が入っているのが面白い。ボイパは様々な楽器(主に打楽器)の音色をそっくり口で表現する技術とされていて、人間業とは思えないような名人もいる。

http://wwwz.fujitv.co.jp/FOD/hamonep_index.html

ユニットは小学生から大学生、社会人?まで多種多様で、聴いていて実に楽しい。さぞや練習が大変だったろうと思うが、素晴らしいハーモニーを聞かせてくれる。なかには愛知県岡崎高校のコーラス部発祥のユニットも。このコーラス部は音楽コンクールで優勝の常連で、世界合唱オリンピックで一位に輝いたというツワモノ。そこのメンバーによるユニットだから上手くて当然。

我々丸の内合唱団からもユニットを誕生させてはどうだろう。フツーの合唱団ではない、マルガツにピッタリの企画だと思うが。

音楽ブログランキングここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月19日 (日)

バッハ、ミステリー作曲家としての実像に迫る

丸の内合唱団は、今夜は男声だけの特別練習。某女声役員?の「男声しっかりしろ」との叱咤を受けて、そこまで言われたくないとの思いを秘めつつ、がっつんと練習しました。二時間半歌いっぱなしで本当にヅカレダ。熱も出てきたみたい(笑)。でも、2回前のブログで、「感情に訴える」と私が絶賛したBWV227Jesu,meine Freude(イエスは、私の喜び)のバス433小節からのメリスマとシンコペーションのところを、ミナエ先生が同じように褒めてくれたので、とても嬉しかった。

バッハの音楽は、なんの予備知識がなくても凄いと感動させるものを持っている・・・・直近2回のブログで書いたことだが、もう一つ驚かされるのは、その作曲テクニックだ。数学的な精密さと象徴性=つまり暗号を備えていて、楽譜を解読してゆくと、さながらバッハはミステリー作家のように思えてくる。

良く指摘されるのが、バッハの数の象徴である。例えば、3は神の数(三位一体)、4は人間、7は神の神聖、10は律法と言った具合。14はバッハ自身をあらわす。BACHA=1,B=2,と当てはめて数を足してゆくと14になるからである。バッハ研究家として著名な礒山雅氏は、ロ短調ミサのグローリアを使って数の象徴を説明している。グローリアの冒頭は金管3本、3部の弦、3拍子でニ長調の3和音を奏でる。この部分は三位一体の神を賛美する部分。ところが、100小節目から音楽はぴたりと静まり調性がニ長調からト長調に下降するが、拍子も4拍子に変わって天上→地上世界の平和を願う音楽が奏でられる。声部の数は14となり、他ならぬバッハも地上の平安を願っていることを示す・・・・・とまあこんな具合である。モーツァルトのオペラ「魔笛」における3の数象徴はフリーメーソンを暗示すると以前のブログに書いたが、バッハの場合、同じような事象がさらに徹底されて盛り込まれているのだ。数の象徴を解き明かすことにより、作曲者バッハの意図を読むことができる・・・・これもバッハの音楽の楽しみでもある。

象徴は数だけではない。もっと分かりやすい事例として、音符の形態や音名などを通して、バッハは音楽を超えたものを提示しているのである。一番有名なのに十字架音型がある。これは、例えば、ソ、シ、ミ、ソの音符の連なりの場合に、ソとソを繋ぎ、シとミを繋ぐと線が十字架のように交差する。また、調性を示す記号の♯(シャープ=ドイツ語でまさにクロイツ)も十字架の象徴として扱われている。先にあげた礒山雅氏による500ページもの大著「マタイ受難曲」を読み返してみたが、バッハはマタイでも十字架音型や♯による象徴を、受難曲の場面や言葉に応じて、極めて有効に使っているのである。

こうした例は枚挙に暇がない。上記「マタイ受難曲」によれば、スタッカート=罪の棘。通奏低音のピチカート=涙のしたたり。二本のフルートの同じ音型連続=香油が注がれる様。通奏低音の不気味なうねるような動き=ユダすなわち蛇の例え。付点リズム=イエスへの鞭打ちなどである。

今回丸の内合唱団が「熱狂の日」で歌う、モテットを見てみよう(指揮者和田朗さんの説)。BWV227Jesu, meine Freude」の第一曲では、冒頭がテナーの跳躍音型が生き生きした喜びを、バスの安定した進行がイエスに裏付けられた平安を示す。

3曲「Unter deinem Schirmenアルトとテナーに八分音符を主体にした激しい動きがあり、サタン・敵の攻撃の激しさを語るものと考えられる。特に107・113小節のアルトは, Sturmen (嵐) erbittern (怒らせる)といった言葉の激しさを十六分音符をまじえた激しい動きで表現している。116・117小節では、 kracht (すさまじい音をたてる・雷鳴がする) blitzt (稲光がする)という言葉に対応して,鋸の歯の形に動く八分音符ひとつひとつに単語の1音節が付けられ,しかもパートによって繰り返し同じ言葉を歌ったり,他パートとずれて歌うことから,雷鳴や稲光のすさまじさが表現されている。119小節では、 Holle (地獄) schrekken (脅かす)という単語に対応して,h-molに一時的に転調して無気味なハーモニーを作り出しているし、臨時記号が多くなることから,不安定な響も感じとられる。

10曲「So nun der Geist des410・417小節 Toten (死者)という言葉は,常に全パートがそろって,それまでの四分音符の刻み(音楽の動き)を失っている。443~444小節 ソプラノ1の Geist は,あたかも天より生き生きとした霊が地におり人間の内に宿ることを象徴するかの様に下行してくる。
 

バッハは、こうした象徴あるいは暗喩をなぜ多用したのか?聴くものを楽しませるため?いや、断じてそれはないだろう。彼は音楽に象徴を盛り込むことにより、より高い次元の音楽・・・・神の高みに近づく音楽を作曲しようとしていたに違いない。相手は、聴衆ではなく、神に対して・・・・神のために音楽を捧げていたのだと思う。

だから、バッハの音楽を聴いて、あれやこれや象徴の意味を探るのはクラシックファンとして邪道なのか?

天国にいるバッハは微笑みながらこう答えるかもしれない「いやいや、私の音楽から象徴を見つけ出すことが、神へ近づく道なのですよ」と。

音楽ブログランキング ここをクリック

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«いつかはマタイを歌いたい